あっと驚く結末…箱根駅伝も箱根駅伝小説も最後の最後に想定外の面白さが待っている

講談社発行 黒木亮著「冬の喝采」625ページ

北海道岩見沢市…

二人の男が再会した。実の父親と息子。
この親子二人は共に箱根駅伝を走った。
ともに3区を走り、ともに4年生の時は8区を走り、ともに区間6位、チームはともに総合3位になった。
恐るべき箱根駅伝親子がいた。

父親は明治大学競争部、息子は早稲田大学競争部。
父親の名は田中久夫。
第23回箱根駅伝では1年生ながら最終区を走り優勝のテープを切った。
25回大会では3区を走り、この時も総合優勝。
大学最終4年には8区を走った。
平塚から戸塚。区間6位の走りだった。
この年明治大学は総合3位。

田中久夫は明治大学競争部全盛時の最有力選手だった。
なにせ彼が走った4年間明治は優勝2回3位2回だった。


その息子金山雅之は早稲田で3年生時、花の2区でトップを奪ったあの瀬古利彦から襷を引き継ぎ第3区を走った。
父親が走った3区を息子も走ったのだ。
平塚にトップのまま走りこんだ。
4年生になってなんと父親とまた同じく8区を走る。
父親と同じく息子も8区を区間6位で走った。
早稲田は総合3位。鬼の中村清監督も満足だった。


名作「冬の喝采」は金山雅之が早稲田卒業後、銀行勤務し、ここを退職後なんと小説家黒木亮となり著した北海道の寒波にもめげない強者ランナーが箱根駅伝を走るまでの私小説だ。

駅伝競走と同じように本小説も最後の最後に驚くようなラストが待っていた。
面白いことこの上ない。
推奨の小説。

プロローグ 1月2日。戸塚中継点。

9時25分ウオーミングアップ開始、9時45分ウインドブレーカーを脱ぐ。
800メートルほど軽く走る。
10時、ジャージ脱ぐ。臙脂に白いWのランニングシャツ。栄光の早稲田のユニホーム。白い手袋をはめる。
10時18分、瀬古が当然のようにトップで来た。
渡された襷を頭の上に持ち上げ右肩からわき腹に掛けた。
1キロ3分のペースで走る。体が風を切る。2位には1分30秒離している。
放送ではNHK北出アナウンサーが3区早稲田は3年生北海道深川西高校卒、金山雅之174、3センチ60キロと伝えていた。

第1章 11月の北海道深川。

雪で完全に町は埋まっていた。
吹雪に負けないよう斜めに走って練習する金山雅之。
昭和47年全北海道中学陸上選手権大会。函館千代の台競技場。
2,000メートル決勝、金山雅之は優勝。

第2章 昭和48年三重県伊勢市。

高校インターハイ500メートル決勝、金山は19位。
ものすごい走りの四日市工業高校の瀬古利彦を見る。
高校生ではないばけものだった。


第3章昭和51年 早稲田大学入学。

学生服が凛として似合うオーラに満ちた瀬古に再会。
同窓となる。歩しる足音が「バシッツ、バシッツ」というのは後にも先のも瀬古独特だった。
中村清氏競争部監督就任。
リデイアード方式の練習法採用。
「君原が何故金メダルを獲れたか」「それは死ぬほど練習したからだ」

   
第9章 昭和53年12月8日。箱根駅伝早稲田チーム14人エントリー。


金山は3区を担当。翌年元旦。中村監督宅を都の西北を歌い出発。

平塚中継点
箱根駅伝中継センター湘南平から平成25年初日の出
画像

湘南大橋が現れた。
平塚市街、丹沢の山影、海は銀色、残り3キロ。1位を維持している。
花水川を渡る。
中継点だ。
平塚稲門会総出で声をからすほど都の西北をうたっている。

金山は襷を井上に渡す。
河野謙三先輩が声を掛けてくる。
「辛抱だ。駅伝に限らず何事も辛抱が肝心だ。辛抱してたかいがあった」
河野謙三氏は3区中継点平塚市の名誉市民だ。

氏のスケールの大きさは早稲田と箱根駅伝で育まれた。
平成25年湘南平からの富士山  富士はずっと駅伝を見続けてきた

画像


3年生だった金山は翌年最終年は8区を走った。
3区とは逆に走る。
平塚から戸塚へ。21,3キロ。


早稲田の時だけでなくずっと金山は練習ノートを執っている。
陸上選手は、いつ、気温、風などの条件、どのコースをどの位のタイムで走ったか。
どう練習したか。反省と評価。克明に記録する。
練習ノートの記録を辿りながら陸上競技、走ることへの想いが伝わる、渾身の作品である。



新潟県北蒲原郡中条町の熊倉町長夫人が唯一の早稲田大学競争部女性部員だった縁で毎年この町の陸上競技大会に早稲田チームが参加する逸話など早稲田マンの人脈話なども尽きない。
面白く一気に読んだ。
著者の国際金融テーマの作品を次回はぜひ読みたいものだ



※  田中久夫が走った昭和22年第23回優勝、昭和24年25回優勝のメンバー

昭和22年
第23回箱根駅伝。復活第1回大会の記念すべき大会に優勝。18年ぶりに優勝旗を駿河台に持ち帰った。メンバーは、戸田省吾、溝部隆、沖田昭三、沢栗正夫、岡正康、湯浅儀一朗、牧野博、君野幸一、小林一郎、田中久夫。
昭和23年
第24回箱根駅伝、3位。

昭和24年
第25回箱根駅伝。中央が前回優勝メンバーの7人が残り優勝確実といわれていたが、打ち続くブレーキで、優勝争いは明早の対決となった。一進一退の手に汗を握るレースを沿道に繰り広げてファンを沸かせた。八つ山橋付近で早稲田を逆転し通算7度目の優勝をした。 メンバーは、島村和男、峯尾裕之助、田中久夫、久保晴良、岡正康、林和夫、乙倉英雄、槇野敦宣、安田正、木渓博志。

2回優勝のメンバーに田中久夫とともに岡正康の名がある。岡は2回とも5区山登りを走った。
終戦直後の山の神様だった。

田中は教諭引退後、北海道 岩見沢市 で陸協の理事長を務めた。
人口7万人ほどの小さな町だが、全天候型陸上競技場を構えており、これが彼の最後の仕事だった。

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