草履片足、下駄片足、運は前髪でつかめ…官兵衛は安国寺と密談直ちに講和し弔い合戦を秀吉に進言

つかめるものはなりふりかまわずつかんでしまえ

片方に草履、片方に下駄で不完全でも、目的に向かいまっしぐら走り出せ
チャンスは迷っていては機を逃す。
時は至らぬからと一瞬でも躊躇したら潮をたちまち引いていく

…黒田官兵衛は秀吉に言った。

正にこのときでござる。一刻の休む間もなく髪振り乱し上洛すべきです。弔い合戦。

秀吉は金銀米をあらいざらい将兵に配った。
そして涙をすすりながら、一世一代、腹の底から咆哮した。

「これから光秀に弔い合戦を挑む。大義は我にあり、命の限り息の続くかぎり足がおれても我と駆けつけてくれ」
秀吉の熱気は全軍に乗り移った、兵士の士気は高まり、崇高な目標に向う鉄の集団と化した。
中国大返しは苛烈を極めた。しかし奇跡は実現した。

山崎の地天王山の闘いで光秀を討ち、清洲会議で秀吉は事実上天下を手にしたのだ。
柴田勝家は前田利家から弔い合戦をと催促されたが、諸国の情勢を睨みながら守りを固める作戦を選んだ。
優秀な軍師がいるかいないかが天下分け目だった。

角川学芸出版発行 火坂雅志著 軍師の門上下  438、437ページ 

半兵衛は秀吉に言った。

危機と好機は背中合わせ、まさに好機到来です。信長様にしんがりを願いでられよ」

秀吉はうめいた「十中八九は死ぬぞ」
「人の一生に何度かは博打は必要、草履とりから織田諸将の見る目は一変、信長様の信頼も揺らぎないものに」
秀吉は「誰かわしに湯漬けを持って来い、おかずは味噌でよい」と大声で叫んだ。この男。決断と行動は早い。

浅井長政謀反の危機に、秀吉はしんがりで敵を食い止め、信長軍は若狭街道を疾駆、無事帰還した。

秀吉の軍師竹中半兵衛と黒田官半兵衛の活躍をダイナッミックに描く痛快歴史小説。
随所に作戦の妙、人生訓話が披露される。
二人のやりとりが面白い、お互い違いがあるが、二人の軍師を義が結ぶ物語。

火坂雅志作品に見る指導者と軍師
秀吉=施薬院全宗(全宗…医術で天下取物語)、竹中半兵衛、黒田官兵衛、(軍師の門)千利休、安国寺
謙信=直江兼続(天地人…義と愛と上杉家物語)
信長=今井宗久(覇商の門…武器商人出世物語)
家康=後藤庄三郎(黄金の華…徳川300年の経済基礎固めた金銀政策)
家康=金地院崇伝(黒衣の宰相…禅僧の知略、幕府300年の泰平造り物語)


竹中半兵衛わしのところに来てくれ、飯も好きなだけくわせる…人は飯により動く。秀吉の泥臭い姿勢に「面白い、お前さんの大望とは」「我が望みは安定と繁栄、ともに天下を目指そう」はん
永禄10年秀吉の軍師として招かれた。
今浜の地はいかがか
今浜は開け過ぎてるぞ
人々が物を売り買いする拠点こそ…その富が羽柴の力になるか
長浜と名を変え、楽市楽座を実施、戦の腕だけでない民政家の手腕にもたけた。
享年36 最後に秀吉に伝えた言葉は゛仁愛゛の態度だった。


黒田官兵衛
天正3年岐阜城千畳敷信長が着座、官兵衛は青畳に額をすりつけた。
「なぜ毛利につかずわしを選んだ
「人は利のある方に靡くもの、上様のお力を示せば、眠っていた播磨の諸将はたちまち目を覚ますでしょう。私も去就に迷っているものの説得に当ります」
「自信ありげだな、自らも汗を流すか、よかろう願いの儀聞きどけよう」

自分の力で道を拓くか、座していてもだめだ、知略を尽くし仕掛けなくては…官兵衛の動いた結果だった。
天正11年天下人秀吉の政権運営新拠点大阪城の縄張りを官兵衛は任された。
徳川の世…黒田家は筑前福岡52万石
自分は政治家にはなれなかった、芸術家だったと官兵衛は思った。政治家は切れすぎてもいけない、芸術家は自己実現に忠実だ。
それで良かった、それがわしだ。
享年59歳

両名を軍師に持った秀吉の戦

ひとことで言えば土木のいくさ。
お金をつぎ込み人員を動員、正面からの合戦より諜報戦が得意だった。
十分な兵糧を与え、芸人を陣中に呼び、楽しみを用意、戦意を高揚させた。外科医を多数配置し負傷兵を迅速に対処した。大きな卓越すた構想力を持っていた。

信長と違う血を流さない゛いくさ゛
日本の合戦史上過去に例がなかった。
安定と繁栄を目指すものに人々は喝采を送るのである。

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