文書改ざんの源は芦ノ湖にあり…捏造された箱根用水の歴史…

国家公務員は何故存在するのか?
答えは一つ…国民が幸せになるよう粉骨砕身働くため…
憲法中の憲法たる第13条にはそう規定されている。
しかし国民の方を向かず私益省益ばかり向いていたので人事権を首相官邸に奪われてしまった。
そうしたら今度は国民の方を依然向かず最高権力の方ばかり向くようになってしまった。
文書改ざんまでして…

さてその文書改ざん、権力者に忖度して、なんと明治時代に、もう!発生した事実がある、しかもあの澄み渡るきれいな国立公園箱根芦ノ湖にその源があったとは!!。

平成30年5月8日午後6時~
小田原市民交流センターUMEKO第7会議室
講師 函嶺郷土史研究会 勝俣正次先生
テーマ 「捏造された箱根用水の歴史」




第Ⅰ幕…以下…箱根用水の真実を隠し脚色改ざんし美談にまで…

①箱根用水とは=
=別称深良用水。
静岡県東部,芦ノ湖と黄瀬川を結ぶ灌漑用水路。
延長 7km。箱根外輪山をトンネル (延長 1280m,幅 2m) で貫き,芦ノ湖の水を黄瀬川に導水している。
(以下脚色改ざん)
寛文3 (1663) 年深良村の名主大庭源之丞ら地元民により計画,江戸幕府に願い出,同6年許可され,友野与右衛門が中心となり着工,同 10年完成。富士山の裾野の地域 5.3km2を灌漑した。
(ここは事実)現在の灌漑面積は 10km2に及び,3つの水力発電所がある。


②美談化まで→「映画、箱根風雲録」
1952年(昭和27年)3月14日公開の日本映画である。
新星映画社・前進座製作、北星映画配給。
監督は山本薩夫。モノクロ、スタンダード、137分。
原作はタカクラ・テルの小説『ハコネ用水』(理論社、1951年)で、幕府に幾度も妨害を受けながらも箱根用水を建設した農民と民衆の物語である。
戦前から映画会社と提携して映画を製作してきた前進座の戦後第2作目。

監督 山本薩夫

脚本 楠田清、平田兼三、山本薩夫
製作 松本酉三、宮川雅青

出演者 河原崎長十郎、中村翫右衛門、轟夕起子、山田五十鈴

あらすじ…脚色され当然だが…

徳川家綱の時代の寛文年間、駿河国深良村一帯の村々は水不足に苦しんでいた。
江戸の商人・友野与右衛門は、大庭源之丞の提案を受けて、湖尻峠にトンネルを掘り、芦ノ湖の水を引き込む箱根用水の掘削工事に着工。
商人と農民が協力する大工事は家綱の威光を失わせ、幕府はさまざまな妨害を加える。
与右衛門は幾たびも捕えられるが、ついに箱根用水は完成。
しかし、与右衛門は幕府の凶刃に倒れてしまう。


第2幕 明治29年4月12日 逆川事件勃発  首謀者告訴され裁判に   和解まで       

仙石原住民須永伝蔵ら10数人は2日間に渡り逆川口甲羅伏せを破壊

…同年1月15日 仙石村他7カ村は前年箱根湖水水使用願を県から国御料局に願い出るも進展ないことから逆川口の浚渫決行を議決していた

明治31年 1月21日 大審院判決 

静岡側提出証拠書類は文政4年国役御普請出来形帳、嘉永2年御普請目論見帳、安政3年御普請目論帳等揃えたが、神奈川側は特に証拠書類は揃えなかった、事実を訴えた

◇結果

須永伝蔵ら禁固1カ月罰金2円の刑に 伝蔵収監さる

●明治35年12月7日 和解  静岡県90%、神奈川県10%の水利と定める

第3幕  本当の箱根用水

▽駿河國新風土記  天保5年
稲葉美濃守家来小山源兵衛が工事を行った。
小田原藩が管理している。
寛文11年深良村から掘り抜き、引水、29カ村水田に灌漑。

▽駿河志料  文久元年
小田原藩稲葉美濃守家来小山源兵衛が立案、箱根用水を掘った。
村の人々が蒙る恩恵は多大である。
小山源兵衛のおかげである。
しかしそれでも満足せず水争いに明け暮れている。
小山源兵衛の御恩を知らない村人が多く嘆かわしい。


静岡側提出証拠書類文政4年国役御普請出来形帳、嘉永2年御普請目論見帳、安政3年御普請目論帳等その古文書類は、逆川裁判の勝訴を目的に関係者達が明治20年代になって捏造した偽古文書であった。

たとえば、箱根神社所蔵の欽白立願状、歴代別当の改ざん、友野与右衛門以外のでっち上げの元締め、
深良村名主大庭源之丞が深く関与したという美談の創作、箱根権現別当快長の関わりの捏造などである。
当時関係者達は、多種多方面に渡って歴史の捏造をしたのである。
関係者というのは、明治政府、富田鉄之助などの水利関係者、深良村など静岡県側住民である。

炭素14年代測定をすれば、それら芦湖水利組合所有の古文書類が明治時代に創作された偽文書だとすぐに分かるが


第4幕  黒幕の登場…

①電力利権と渋沢栄一と須永伝蔵

逆川裁判は、明らかな冤罪事件であった
その背景には、時の明治政府による水力発電を奨励する富国強兵策があった。

逆川堰留の甲羅伏せなる人口河床は、被告人須永伝蔵が証言した明治22年頃になってから建造された近代土木工事の産物であった。
施工者は、元箱根村民達でありその報酬は、明治23年から5年間に渡る深良村他水利組合村から元箱根村への小作米であった。
(参考・箱根町郷土資料館発行・明治の模範村、箱根権現領・旧元箱根村の歴史)
このように水利妨害を受けたのは、捏造された証拠をもとに有罪となった須永伝蔵達神奈川県側の方であった。

逆川抗争の仲介者とされる富田鉄之助は、実は東京水力電気という電力会社の中心人物で、箱根用水を水力発電として利用する事を自ら計画していたのであった。

芦ノ湖を天然のダム化して貯水し、通年安定した水量を確保する為には、逆川堰留は、関係者にとって必須であったのである。
逆川裁判での原告静岡県側の勝訴は 明治国家権力にとって絶対必要であり、静岡勝利は約束されていた。

大正11年(1922年)に東京電燈によって深良川第一、第二発電所が建設され、大正12年(1923年)芦ノ湖水力電気へ代わり、第三発電所が建設されました。

これら電力会社に渋沢栄一は深く関わり、和解に同意した神奈川県知事は電力会社に天下った。

② 渋沢栄一 道徳経済合一論の真実

渋沢栄一曰く=企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない。

渋沢栄一(1840-1931)は日本で最初の銀行である第一国立銀行(現・みずほ銀行)をはじめ、生涯に約500の銀行・会社の設立・育成に関わり、「日本資本主義の父」と言われる。

実業家・渋沢のこうした目覚ましい活動は、彼が抱いていた一つの信念に支えられていた。
それが「道徳と経済は両立させることができる」という「道徳経済合一説」である。
この考え方の根拠を、彼は自らの信奉する儒学、とりわけ『論語』に求めた。
渋沢は道徳を「論語」、経済を「算盤(そろばん)」と言い換えて「論語と算盤を一致させることが重要だ」と説いた。

国を富ますには、科学を進めて商工業の活動によらねばならない」というのが渋沢の基本的なスタンスであった。

「経済なくして道徳なし」の一つの意味は、以上のように「商工業の経済活動を盛んにしなければ、公益の追求という積極的道徳を実現することはできない」ということである。
この考えこそ、生涯に500社もの企業の設立・育成に精力的に取り組んだ渋沢の原動力であった。

③箱根仙石原開発:耕牧舎物語と渋沢の裏切り…

明治維新の混乱によって、村人の生活はさらに苦しくなり、共有まぐさ場だった737ヘクタールを牧畜試験場用地として、神奈川県に売り渡した。
この土地に目をつけたのが、後に経済界の大御所となる渋沢栄一や益田孝(初代三井物産社長)ら。
わが国でも、毛布の原料である羊毛生産の必要を(特に軍用に必需であることを)痛感していた渋沢らは、明治12年、この土地を神奈川県から払い下げを受け、羊牧場にすべく「耕牧舎」を設立した。

渋沢は翌13年2月従弟の須永伝蔵を現地責任者として派遣し、開拓に当たらせまた。


渋沢栄一の従兄であり箱根耕牧舍の支配人須永伝蔵は、気候条件の悪い中、日夜努力を重ね、羊は失敗したが、牛200頭、馬80頭を放牧、東京や地元の旅館へ牛肉、牛乳、バターなどを出荷していた。
明治29年の水飢饉の際は芦の湖の逆川口の甲羅伏せを破壊し、早川に水が流れるようにして流域村民の危機を救った。

その後、須永伝蔵はその責任者として刑に服したが、村民の人望はますますあつくなり、その後仙石原村の村長にもなった。
63歳没、耕牧舍は経営難、後継がいなかった為廃業となった。

耕牧舎で酪農経営を支えた須永伝蔵の顕彰碑が仙石原に建立されるにあたり、渋沢栄一は昭和6年7月(1931年)、その題額を揮毫した。



第5幕 北条早雲研究家であり同市住の澤田実氏の質問

平成30年5月8日 勝俣先生の講義後、聴講生の一人澤田実氏が質問した。
「神奈川と静岡が和解し、90%は静岡に、残り10%は神奈川に流れることとなったといいますが、現在どうなっているのか? 神奈川には1滴も流れてないのはなぜか?

勝俣先生のお答え
「その貴重な10%をめぐり、地元箱根の10町村が水争いを起こしもめにもめ、まとまらず現在に至っています。非常に残念ですね」

勝俣先生は箱根芦ノ湖の水の公平平等を訴え、行動でも活動を行っています。

タウンニュース2017年7月7日号

早川および芦ノ湖環境保全の第1回懇談会」が27日に仙石原文化センターで開かれ、郷土史などを研究する勝俣正次氏(62)が発表に立ち、湖尻水門からの「常用放流」を訴えた。

 芦ノ湖から静岡側に流れる深良用水に関する書籍も出す勝俣氏は、同様の発表を町議向けにも開催してきた。今回は仙石原の住民や小田原の漁業関係者など30人が集まった。

 芦ノ湖では江戸時代に小田原藩の一部だった裾野市側に湖水を流すため、山を貫く深良用水が造られた。それ以降静岡側が農業・発電用水として使っている。早川側への放流(湖尻水門)は水害の可能性がある場合などに限られ、普段は閉ざされている。

 勝俣氏は県から芦ノ湖の水位記録を取り寄せ、早川側の湖尻水門を建設した後に水位が上昇した経緯を指摘。
「平成2年に現在の湖尻水門が建設された事で伏流水が遮断され、川の水量が減った」と説明した。
昔の写真を例に仙石原地区の川の水量が減り汚濁しやすくなったこと、湖水が増え水害の危険が増している点などもあげ「常用放流が必要」と力説した。来場者からは「常時水が流れれば魚も育つ」「今の放流の仕方は下流で水量が急増し危険」と賛同の声も上がった。

 勝俣氏らは神奈川県知事あての署名を集めており、今秋のススキ観光シーズンの活動などを通じ、1万人分を集める構想という

政治家は何故存在するのか…答えは一つ…国民の為  友達の方でない、国民の方を向かなければならない。
温泉の保護対策が急務とされる今日、箱根には地下水の汲み上げに代わるべき新たな水源の確保がぜひとも必要である。
芦ノ湖が、巨大な天然の貯水槽であるにもかかわらず、その水を一滴も使用できないのが現状である。
心ある政治家の理解と行動が望まれる。


制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄

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この記事へのコメント

nozaki
2018年10月12日 09:28
早川の源流は、芦ノ湖であることに間違いない。元を辿れば早川が箱根の噴火で噴出物に堰きとめられて出来た湖でである神奈川県の一部の方と静岡県裾野市によつて水利権と自然の流れの解釈を捻じ曲げられてしまい常時流れなくなってしまっただけである。芦ノ湖の湖尻水門(水門の高さ1889mm)を常時開放し超水(オーバーフロー)すれば良いことである。

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