櫻井誠子著 「風船爆弾秘話] …壁になるまで働かされ、女学生が作らされた風船が…

光文社発行  櫻井誠子著 「風船爆弾秘話」 を読んで

圧巻は第5章「地獄の日々」である。8章建てであり、各章20ページ弱であるが、第5章には40ページ近く要している。文字通り学徒動員された女学生と風船爆弾地獄の日々が綴られる。

平塚の海軍火薬廠での風船爆弾研究

東海道線平塚駅から500m北一帯に相模海軍火薬工廠があった。
砲弾、魚雷、火薬兵器の研究製造が行われていた。東南の一角には化学実験部もあった。
無差別殺人兵器毒ガスの研究、製造、防毒、その他化学兵器の研究が行われていた。
そしてここに、偏西風に乗せた風船爆弾により米国本土を攻撃しようとする計画が昭和18年持ち込まれ、呉から平塚に技術者も集められた。第4科研究室が設置され、風船爆弾の研究が進められたのだ。平成の今、火薬廠跡はサッカー場、野球場、総合公園や美術館が並び市民が憩う場所となり、当時を偲ぶよすがもない。

川崎東芝富士見町工場と共立女学校の学徒動員

東芝は明治8年創立の老舗である。仕事の大部分を海軍の依頼によった。海軍は東芝に技術部門の大部分を頼りにしていた。特に川崎富士見町工場は風船爆弾の多くの役割を託されていた。
富士見町工場で製造する高度保持装置は風船爆弾の心臓部をつかさどる。この大変な精密作業を誰に託すか大問題だった。
中心的技術者小間登の母校東京工専精密機械科の学生が動員され作業に習熟したころ、助手に共立女学校生が選ばれた。共立女学校は海軍の軍港横須賀に近く校舎も海軍に接収されており、学校と海軍は極めて良好な関係にあった。こうして共立女学校生は3年以上が全員東芝富士見工場に動員されたのだった。そして秘密兵器風船爆弾の製造に携わることになって行く。

地獄の日々

川崎の東芝富士見工場に300人もの学生が勤労奉仕を行っていた。東京工専、共立女学校の他東北各地の学校からも多数学徒動員されていた。そこには防空壕がなかった。工場長は言った。「ここは戦場である。戦場には防空壕はない」地獄の日々だった。背中が壁になるまで働かされた。泣きながら抗議した少女たち。
実は風船爆弾はその頃新種の兵器生物化学兵器゛2号飛翔兵器゛を軍は威信をかけ製造を急いでいた。

第1章 ふ号作戦…海軍と陸軍の風船爆弾 
昭和17年4月18日帝都東京が初空襲を受けた。驚愕し戦局打開を図るべく東条首相は風船爆弾を10万発米国本土へ攻撃せよと発す。


第2章 気球紙の里 

 500年の歴史ある埼玉県小川町の和紙
気球1個に和紙600枚が必要、製造しても製造しても足りなかった。
福島県いわき市の遠野和紙も福井県越前和紙も、更に手作りばかりでなく機械和紙の小田原和紙も量産体制に寄与させられた。
気球の和紙貼りの作業の多くは小倉造兵廠にて行われた。福岡県下の女学生が集められた。12時間の立ち作業、劇薬を使用するため皮膚もただれた。疲れをとるため、白い錠剤が配られた。ヒロポンだった。

第3章 調整室の青春 
 機密検査の調整室勤務する学徒男女は六郷土手に散歩した。
    つかの間の休憩と青春。故郷や花を唄った。好きな人も出来たが…。

第4章 高度保持装置
  10mの気球を操作する高度保持装置が発見された。あまりに小さくてびっくりさせる。爆弾を多く積むため装置類は小さく軽さが要請された。ここに当時の日本技術の水準が窺われる。戦後のトランジスターなど極小の世界で勝負は続く下地はここにも見られるとは皮肉なことである。

第6章  放球基地  
 1944年11月から始められ9,300個が放球された。

第7章 ブライの悲劇

  風船の後をぞ追いて癒しけり いくさの傷をブライの村で

第8章 登戸研究所

川崎には東芝の工場が5箇所あった。しかし富士見町工場だけが徹底的に空襲を受けた。すぐそばの工場は免れている。まさにピンポント攻撃を受けた。

小倉には風船爆弾主力工場があり毒ガスも小倉に送られていた。故に最初の原爆の目標地になった。小倉には2,850人が学徒動員させられていた。
      
相模海軍火薬廠のあった平塚市は昭和20年7月16日に大空襲を受け壊滅させられた。
B29爆撃機138編隊による空襲は夜間2時間に及び、焼夷弾1173トンが落下した。大型焼夷弾は48発の焼夷弾を内包する新型爆弾だった。70%の7200戸の家屋が消失、死者226名、逃げ惑う市民に機銃掃射が浴びせかけられた。
      

…風船爆弾の開発指導の主体を担った登戸研究所はどうなったか。       
ここでは「く号作戦」として怪力光線(レーザー兵器)開発、更に「と号作戦投射兵器」、陸軍中野学校用スパイ用具も作っていた。ここに勤務していた技術将校達は終戦後米軍と取引し、技術提供と引き換えに戦犯は免れた。

昭和19年9月、参謀本部では風船爆弾を使い牛疫を使用した大量殺戮兵器による米国の牛を殲滅する方策検討会議を開いている。
登戸研究所の代表的研究はこの動物に対する謀略兵器の企画であった。おびただしい数の動物が犠牲になった。
しかし登戸の軍関係者は誰一人戦犯に問われることはなかった。

風船爆弾に関する全ては陸軍指示による特殊研究処理要綱に基づき完璧に焼却された。現存するものは大変少ない。アンケートや地味な聞き取り調査が実を結び貴重な本書となった。
     
      
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制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄




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