戸塚に梅2話あり…地域密着型咲きKahoる梅あり、惜しまれつつ散る香梅あり…

咲き出したKahoる梅


朝日新聞平成25年2月27日25面
歌わせて街の店の歌   横浜の戸塚駅前で路上ライブKahoさん
店に新たな客、地域に好循環


横浜市戸塚駅前で、地元の商店を歌う歌手がいる。
横浜在住のシンガー・ソングライターのKahoさん(23)。
地域密着でファンを増やし、依頼した店側も歌を通じて新たな客を獲得。
歌が地域に好循環を生んでいる。


2月中旬の午後6時、JR戸塚駅東口、カホさんはキーボードを弾きながら歌っていた。
1月に出来たばかりの「ぷちらぱんの歌」駅前の小さなパン屋ぷちらぱん店の歌だ。
店を1日体験し、店主とお客の気持ちを思って作った。

テーマソングプロジェクトとして昨年9月に始まったこの活動。
戸塚の活性化を考える地元商店主らに提案した。
駅ビルの朝の開館の曲や、地元FMのテーマソングなども手がける。
「地域密着で曲の力と、人の力を直に感じる。町で曲を聴いて、ライブに来てくれる人も増えたんです」カホさんは笑う。

店と曲のコラボで、互いに宣伝になり、今までにない客やファンのつながり生まれている。
事務所でも新たな音楽活動のモデルになると期待している。

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♪3月5日午後5時  戸塚駅東口広場で路上ライブが盛り上がっていた ♪ 再開発の新しい街によく似合うライブ光景  

kaho*

横浜出身、ピアノ弾き語りシンガーソングライター。

 人と人との繋がりや絆、そして日常の中の幸せを伝えるために飾らずに穏やかにひたむきに、
 そして積極的に活動中***
 好きな場所は海。特技はけん玉。
 幼い頃からピアノを習い始め音楽に触れながら育つ。
 
専門学校を卒業後、2010年9月にレコ発初共同企画ライブを渋谷gee-ge.にて成功させる。
 2011年11月には初のワンマンライブを行い、渋谷gee-ge.を満員にさせ大成功を収める。
 2012年6月10日、3rd Single『流れ星』をThistle Music Entertainment よりリリース!
 2012年7月、オリジナル缶バッジを計600個販売し、その売り上げで「東北杉の間伐材うちわ」を寄付。
 雇用も絡めた復興支援に力を入れている。

 
2012年10月13日、4th Single『かえりみち』をリリース。レコ発ワンマンライブでは103人を動員。
 タイトル曲『かえりみち』がエフエム戸塚「大ちゃんの熱中タイム」エンディングテーマに決まる。
 現在は戸塚区を拠点に、様々な活動を展開中



惜しまれて散る梅

香梅寮解体…

<投稿要旨>

香梅寮が解体されるとの話を聞きました。戸塚に残る貴重な歴史的建造物です。市民利用施設として、保存・活用をお願いします。


<回答>


香梅寮の建物及びその敷地については、所有者のご厚意により調査をしていただいた結果、敷地については江戸期の形が残っている一方、主屋及び離れは幾度かの構造的な改修や増改築により創建当初の姿をとどめていないことが明らかとなりました。

このため、横浜市としましては、「香梅寮」を市指定有形文化財として指定し、市民利用施設として保存・活用を図ることは、難しい状況です。
しかしながら、香梅寮の建物及びその敷地は、江戸から近代にかけた歴史の記録として重要な歴史的資源としてとらえることができると考えています。

貴重な歴史的資源が継承されるよう、今後も所有者と話し合いを行っていきたいと考えています。
<問合せ先>
戸塚区総務部区政推進課
電話:045-866-8327 FAX:045-862-3054


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2008年12月11日発信ブログ再掲 


戸塚の香梅寮


JR戸塚駅から徒歩で5分、旧国道1号線に沿いに、東海道戸塚宿を今に伝えるたたずまいの歴史ある建物が香梅寮。

太平洋戦争末期の昭和19年、戸塚銀行創立者内山氏より日立製作所が買いうけ、戦時生産に携わる従業員宿舎に使用されていた。
昭和20年からは日本女子体育専門学校の生徒40人が入寮、名前も香梅寮と付けられた。
終戦後は日立戸塚工場の従業員クラブとして利用され現在に至っている。

純日本風2階建て、日本庭園が美しい。
我々の通された部屋のすぐそばの廊下が何と、日露戦争で日本連合艦隊に撃沈されたロシアバルチック艦隊の艦艇の甲板がそのまま使用されていた。弾痕が黒墨で埋められ不思議な絵模様。
明治32年設立された戸塚銀行の金庫室が倉としても残っている歴史的な建造物。


歴史性豊かな落ち着いた日本料理屋の個室。
T社労士さんは今第三者委員会に勤務されている。
その間を縫い社会保険事務所にもねんきん特別便応援勤務され、更にファイナンシャルプランナーなど色々な研修にも欠かさず参加するものすごいファイター。
お話の内容が違う。お酒もうまいし料理もうまいが、彼の話が面白い。この上なく刺激になる。

社会保険事務所でのねんきん特別便応援も苦労の連続だが第三者委員会もすさまじい職場のようだ。
現代の歴史の一こまをお互い末端であるが最前線で演じてもいるすごさも実感しつつ、健康や好きなゴルフ、山歩き、旅行などお互いの趣味の話もはずんだ…。有意義な忘年会となった。誠に有意義な2008年だった。

戸塚と日立

戸塚は江戸時代、東海道の宿場町として栄えた。
明治になると東海道線が開通、戸塚駅が開業する。近代化に伴って日立製作所など、多くの工場が進出し、高度経済成長以降は丘陵地の造成が進み、東京・横浜のベッドタウンとなっている。
横浜市の副都心として指定されている。
なお日立製作所のソフトボール部(日立ソフトウェア)は強豪であり、また女子バスケットボール部日立戸塚レパードも強豪であったが、現在休部中である。
吉田町の日立製作所は1933年完成の旧戸塚競馬場跡地(現・川崎競馬場)で、その後1942年に汲沢町に移転した戸塚競馬場跡地に現在の汲沢団地バス停がある。バス停周囲が広いのはこの為である。


戸塚には日立の病院も

昭和17年に日立製作所の戸塚工場構内診療所としてスタートした当院は、企業立病院であると同時に地域住民の健康維持にも貢献すべく、急性期から予防医療までを幅広く提供しています。
そのため、17の診療科を有する総合病院の側面と、日立グループに勤務する従業員の健康管理を担う健診センターの顔を持ち合わせています。

 急性期医療の診療という側面は、循環器内科やアレルギー呼吸器科、神経内科や消化器内科、代謝・糖尿病科などを有する内科部門と、消化器外科や整形外科を有する外科部門、他にも複数の専門科で対応しています。
 今回、募集している整形外科では、腰痛や膝関節痛、肩関節痛などを診療し、必要に応じてレントゲンやMRI検査等を行っています。さらに、腰痛症や肩関節周囲炎、スポーツ障害等については、理学療法士による鍼灸なども用いたリハも実施。急性期から回復期の整形外科疾患を全般的に診療しています。

 また、企業立病院としての側面では、当院の敷地内に延床面積1382平方メートルで鉄筋2階建ての総合健診センターを有しています。
ここでは日帰りや一泊の人間ドックやMRIやMRAを利用した脳ドック、CTによる肺がん検診などの一般的な健診メニューから、女性を対象としたマンモグラフィによる乳がん検診や子宮がん検診、骨粗鬆検診や甲状腺検診など、あらゆる健診を行っています。
 年間の健診受診者数は15,000名で、その内の約85%が日立グループの従業員で占めています。

 現在、当院では整形外科・外科・消化器内科の医師を募集します。専門医の腕を活かしたい先生や、専門医取得のために多くの症例を経験されたい先生まで、幅広い層の先生がご勤務いただける環境と整えています。先生のご応募をお待ちしています。


高田 昇平
(たかだ しょうへい)
1911年~2005年

高田昇平は1911年9月14日生まれ. 1935年3月,京都帝国大学工学部電気工学科を卒業,沖電気工業勤務を経て1938年日立製作所に入社.
日立研究所にて通信関係の研究に従事,1943年に東京市国分寺町に中央研究所が開設されるに当たり,日立製作所の通信,真空管などの研究開発の責任者となった.

1956年,高田の旧友で日立製作所電線工場研究部長であった久本方が,電源開発の奥只見-東京間送電幹線の敷設計画にあたり, ACSRケーブルによる送電線の設計計算を人を集めてタイガー手廻し計算機で行っていることに着目し,これを技術サービスとして電子計算機で高速に処理れば,受注に結び付けられないかと,中央研究所の高田に相談した.高田は,知恵はあるが,金と人がない.これらの手当てをしてくれれば立ち上がろうと返事した.
久本は上司の決断により500万円を用意し,電線工場研究部から岩上秀夫と沼尻文哉を派遣し, 1956年6月中央研究所で電子計算機の開発プロジェクトがスタートすることになった.
当時東大理学部の高橋秀俊研究室で, 後藤英一が電子計算機の論理素子パラメトロンを発明し,高田はこれに注目して日立中央研究所で電子交換機への適用を検討していたので,この技術を電子計算機に適用することとした.
記憶装置としては磁気ドラムの採用を決断,中央研究所で研削した直径100mmのアルミドラムに磁性膜の塗布を東京通信工業(現ソニー)に依頼した.
その制御回路には真空管を使用したが,その後トランジスタに置き換えた.約1年後の1957年12月, HIPAC MK-1と名付けたこの電子計算機の開発プロジェクトは成功し,計算機としての基本機能を確認することができた.直ちに電力ケーブルの弛度張力の計算に適用し電源開発からの奥只見幹線のケーブル受注に成功した.


1959年6月, ユネスコにより世界で初めての情報処理国際会議がパリで開催されることになったとき, その展示会 AUTO-MATH 1959 にパラメトロン計算機出品の要請が 山下英男と和田 弘から高田にあり, HIPAC MK-1を改良した HIPAC 101を出品,安定に稼働させることができ,好評を博した.

1959年8月,高田は日立製作所戸塚工場コンピュータ部長に任命された.
1962年8月に新しく発足した日立製作所コンピュータ事業部神奈川工場副工場長を経て1963年神奈川工場長,
1964年コンピュータ事業部技師長となり日立製作所におけるコンピュータ事業の発展に貢献した.
1974年日立製作所を退職し,エレクトロニクス,コンピュータ関連の技術開発を目的とした会社リンクを東京都国分寺市に設立して代表取締役社長となり, 2001年会長となった.
情報処理学会では,1965-66年に理事,1971-72年に副会長を務め,1980年名誉会員に推挙された. 2005年3月28日逝去.


戸塚銀行


設立
1899(明治32)年11月21日, 内山敬三郎戸塚銀行設立,頭取に。
歴史
戸塚銀行⇒関東興信銀行⇒横浜興信銀行→横浜銀行

戸塚駅東口再開発

戸塚は古くから東海道の宿場町として発展していたが、近年では先に都市整備が行われ商業施設が集積された戸塚駅東口や東戸塚と比較して、戸塚駅西口周辺は遅れを取っていた。
また、道幅が狭く雑然とした町並みでは防災上問題が多く、神奈川中央交通の戸塚バスセンターが駅から離れており利便性に欠けているなどの問題も浮上しており、横浜市は1997年3月より戸塚駅西口の再開発事業に乗り出した。

商店街側からの反対が根強く計画は途中何度も変更しており、2006年7月にようやく決定する。
その間、仮設店舗用のビルである戸塚ウエストが2002年に完成するが、実際に使用を開始したのは再開発工事を開始した2007年6月となる。

2010年3月末をもって戸塚ウエストは閉鎖され、戸塚ウエストに店舗を構えていた商店街の店舗の大部分はトツカーナモールに移転し、戸塚東急プラザと一体となってトツカーナという商業施設を構成する。
ただし、戸塚東急プラザの運営は東急グループが受け持つのに対して、トツカーナモールはあくまでも店舗の集合体であり、運営は個々の店舗に任されている。

また、戸塚バスセンターもトツカーナに併設する形で移転し、タクシー待合所及び自転車駐輪場と合わせて第1交通広場として2010年4月18日より供用を開始した。
一般自動車の乗降場となる第2交通広場及び戸塚ウエスト跡に建設される戸塚区役所が移転予定の公共施設は、2012年に供用開始予定である。

トツカーナに隣接している11棟の個別ビル群は、戸塚パルソ (PALLSO) という名称が付けられており、トツカーナモールに入居しなかった戸塚ウエストの店舗はこちらに入居、2010年3月より順次オープンしている。

問題点
計画上、同じような店舗が多数ある。
薬局 ファルマルシェ戸塚・マツモトキヨシ・湘南薬品
喫茶店 珈琲館・スターバックスコーヒー・ドトールコーヒー
寿司 すし三崎丸・昭和匠寿司・回転寿司魚喜・うお三昧きじま・京樽

慣れれば問題ないが、エスカレーターが3つあり複雑である。
運営が違うため、パンフレットが東急プラザとトツカーナモールで別々になっている。

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