ほんとに、運のいい、丑之助だった。家出人が、東京へ着いてその日にうちに株屋勤めにつくなんて、大番だ!

丑之助上京


家出して東京に着き、同郷の友人を訪ね日本橋の蕎麦屋に行く。
家出人の気弱さも、お上りさんの気怯れも、丑之助には全く縁がなかった。
わしア東京にきてしもうた!
ここまでくればシメたもんじゃ。

その日から坂本町の株屋太田屋に住み込む身となった。
丑之助が、微々たる店だが、とにかく株というのもを扱う店に、ワラジを脱いだということは、生涯の運勢に、関係することとなったのである。


新潮社発行   獅子文六著「大番」    372ページ

-ともかく家を飛び出して、悪うはなかったわい。
丑之助は翌日から詰襟服を着用、誇らしい満足を丑之助に与えた。
極めて忠実に働く。店前の街路の掃除、店内ブラシで水洗い、窓格子掃除など入念にやってのけた。
感動したのは人間が多いことだった。出入りする人だった数えきれない。
皆からギュー公と呼ばれるようになり誰からも憎まれなかった。

丑之助か…ブルだな。牡牛をブルという。株屋として悪くないよ。
株の取引は買う方と売る方から成立する。君にも分かっているね。
買う方がブルで、売る方がベアと呼ぶんだ。
ブルが勝っているときは好景気なんだよ。
騰貴、強硬、上向きの現象を生じ、株屋街に喜色が輝く。売りと買いから株式は成り立つが、人間心理は買うという行為を喜ぶ。
ギュー公と名がつく以上、君は、買い手として大をなすかもしれないぞ。
富士証券の公社債部長木谷さんは忘れ物の煙草入れを届けると丑之助に「すまないねと言いながら話をしてくれる。


お前明日から相場通しをやってみろ。
主人からそう発令された、給料が上がるわけではないが彼は愉快だった。ソレーという気持ち。
場立ちから聞き取る耳が正確、手帳に書く字が誤らないこと、店まで郵便局の使いよりすっと早くなくてはならない。
報告は大きな声で明瞭に「日本郵船10株33円出来ました!」と報告する。丑之助はみごとにこなした。
最初から堂々たる態度だった。
羞恥心が全くはなからないのだから。
そして実は手帳には書かないで暗記した。
書き写しよりその方が間違いなくやれるし、手帳見ての報告より速く報告も出来る。
株の仕事の第1歩は順調に始まった。


夜になると丑之助は罫線表や黒板にある銘柄、数字を眺める。明日の相場を考えるのだ。
株は姿は見えないが生きている。
いつも予想と反する活動をすることに気が付く。
面白いものだ。


丑之助上場

主人が言った。「ギュー公どうだ場立ちをやるか」「まだ早いけど習うより慣れるだ」
こんなに早く場立ちを命じられるとは。破格の栄誉だ。
実情は人がいないからだった。
場立ちは店員の最も華々しい仕事だ。
いわば前線の兵士。
場立ちの手振りで相場が動く。


世話になった太田屋が店じまい:失職するはめに。
世は世界的大不況に。
チャップリンさんに会う。
「金儲けに夢中になっているときは相場の目は開かないよ。と言って、欲がなければ相場をやる必要もない、そこが難しい」
「僕は一切相場には手を出さない、だから100発100中なんだよ」
見どころがあるやつしか教えない、でも教えるような奴がいなかった」
「そうしたら君が出てきた」

買って買いまくれ
満州鉄道
丑之助は買った
暴騰だ。約10万円のもうけ。今の金額なら4,000万円。
生涯最初の相場で勝ちよった。

もうはまだなり

もうはまだなり、まだはもうなり
人の行く裏に道あり花の山

丑之助は近く上がると確信した。
鐘紡5,000買う。
栄華一朝の夢
丑之助が大金を握っていたのはわずか半年だった。
失うのがあまりに早く打撃さえあまり感じなかった。
22万の損失、8万ほど足を出した。
これでギュー公も一人前と木谷さんは言った。

機知と術策の世界に誠意で勝負することに。
鮮やかな負けっぷり。
容貌と言葉つき、丑之助の誠意に借金は帳消しに。
日本産業株を狙う。
120円で3,000株。130で5,000円。更に5,00買う。
143円に上昇、今だ、売れ、12万円の儲けだった。
借金を返す。贈り物も。信用を買ううんだよ


開業 マル・ウシ商店

丑25歳、カブト町ににノレンを出した。
日本も変わってきた。
満州国建国。
内側、外側が激しく動いている。
軍需株も前途洋のごとし。

28歳  白髪が混ざった。
もう、いけん。
新鐘で勝負、139万円の儲けが一挙に消滅。
落城か、師匠の木谷さんは自殺
故郷に帰る。
時代は流れる。

英国とドイツ開戦
戦争の爆音は株をやるものは3倍大きく聞こえる。
東証創立以来の売買記録更新。
なんだ木谷さんの言うとうりになってきた。
昭和16年12月8日 大本営発表。帝国陸海軍は…
日本魂が株屋魂に変わった。
大ガラやぞ、これは。

日本は必ず負ける。売りや。
軍艦マーチの連続、暴騰。
買いの丑が売りに回ったのだから、彼の出る幕ではなかった。

丑40歳:新東京出現…
カブト町に戻った「怪物が現れやがった」
昭和24年ブーム
平和不動産、日本郵船、三菱化成で勝負、300万円儲けた。
今度はパルプ。
3,000万円儲けた。

25年春、次は旭ガラス 買いまくる
1億2千万円儲け。
朝鮮戦争…3億、4億と儲け続ける。
もう明相場師「赤羽丑之助」に。
ついに14億の儲け。


ゴルフ場の風呂で聞いた。早耳。
即動く。
売りだ。
太陽が西から昇るぞ。
45歳、誰よりも早く確実に大下げ相場を掴んだ。
今度は何か?
大磯のゴルフ場を買う。
株だけでない事業の経営に興味が。
昭和30年。ここで平塚が登場。
リンカーン車内で「わしは女は一人にする、大勢の女のところもうまわりきれん」
ゴルフ場はこれほど人件費がかかるとは。日々の出銭に追われる羽目に。

昭和32年3月1日 赤羽丑之助、大将の出陣。
わしは日本で最後の相場師になるわ。
47歳。
相場を張る喜び。平和不動産、買い!



主人公・赤羽丑之助のモデルは佐藤和三郎である。

1902-1980 昭和時代の相場師。

明治35年2月13日生まれ。
16歳で証券界にはいり,29歳で独立。
昭和24年合同証券を設立し,専務のち社長。
大証券会社が力をつよめるなかで最後の相場師といわれた。
獅子(しし)文六の小説「大番」の主人公ギューちゃんのモデル。
昭和55年8月15日死去。78歳。新潟県出身。

佐藤和三郎は合同証券(エイチ・エス証券の前身)の社長を務め、山崎種二と対比して、「買いのブーちゃん」「売りの山種」、「人気のブーちゃん」「実力の山種」と言われた相場師であった。
作中の「ギューちゃん」という愛称は、佐藤の愛称「ブーちゃん」と、「買い」を指す符丁の「ブル」(牛)から来ており、名前の丑もそこから設定したものである(小説が有名になった後には、佐藤を指してギューちゃん(のモデル、と付けるのを略して)と言ったりされることもあった)。

彼の同時代の相場師に「売りの山種」がいます。
山種は売り中心だったのに対して佐藤和三郎は買い中心だったため、よく比較されたようです。
人々から「ブーチャン」と呼ばれ人気の高い人物でした。

彼の、主義は「買い一辺倒」です。

買い一辺倒の相場師は、通常生き残れないものなのですが、彼は最後まで買いを貫き生き残っていきます。
「旭硝子買占め事件」の時は前回紹介した大神一と組んで買い方として暴れまくり、佐藤の利益は大神一の本尊よりも多かったと言われています。


・・・引き際も見事です。

昭和33年、彼は自分の時代が終わった事を悟り、相場師を引退します。
その後、レジャー業に進出して成功します。
高級旅館で有名な箱根「強羅花壇」などは、今も彼の子孫の佐藤一族が経営しています。


1950年代、片瀬山丘陵の地形を利用して、佐藤和三郎の手でゴルフ場が開設されたが、長続きしなかった。
その跡地に1967年(昭和42年)から1977年(昭和52年)にかけて三井不動産の手で開発されたのが「片瀬山住宅地」である。
ここは整然とした戸建て住宅の集合体であるが、1970年代になると、国道沿いに中層の集合住宅が建ち始め、1980~1990年代にピークを迎えた。
片瀬海岸の集合住宅や最近の分譲住宅には、サーファーの居住を予想して入口付近にシャワーや水洗槽を設置することが流行している。

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