命を尊重する岩手沢内村は今も健在:映画「命の作法」を監督在住の地平塚で観る

平成22年1月23日(土)午前11時:14時 平塚市中央公民館にて映画「命の作法」が上映された


岩手県沢内村の命を尊重する行政を展開した゛地方自治の巨人゛深沢晟雄村長の100年後の日本を先取りした取り組みは当ブログ2007年9月22日号で発信したが、その後沢内の村人は深沢晟雄の意思をしっかり受け継ぎ40年後の今も素晴らしい生命尊重の取り組みを実践している。
その経過を記録し映し出したのが今回平塚市中央公民館で上映された映画「命の作法」である。

そしてこの映画を監督された小池征人さんはなんと平塚の住民とのこと。
この日も上映後ご自身が登場しご挨拶された。
小池征人監督は平塚市にもう30年以上住まれているそうである。


沢内で継承されている命の作法…

{死生観を語る研修会}

死と隣り合わせの老人ホームで、入居者とその家族、職員が、”看取り”について開放的に語り合う。
死もまた生の一部であることを踏まえた、全国でも例をみないユニークな試み。
あっけらかんとした様子で語る住民たちから、「生命行政」の浸透ぶりが伝わってくる。

どの人も「この町に住んでいてよかった」と心から思っているようだ。
 やさしい若者たち、輝いている中年たち、仏のような老人たち ・・・。
住民一人ひとりの言葉に品格が感じられ、重みを持って響いてくる 。
  「障害の重さは命の重さ」と、障害者の母親。

制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄



「天が授けてくれた運命だから、皆で一緒にやろうよ」と、保健師。
  「沢内は誇り。選んでここで生きていくぞ」と、宣言するヤング。
 「楽しい記憶が1つでもあると生きられる。人は記憶の数だけ生きられるんだ」とも。
「どの町にいても、1人では生きられない。人とつながり響き合いながら、何かを達成するのは楽しい」と、若いママ。
「人の痛みを知らないと、人にはなれない」と、元温泉旅館の女将。


{雪見橇}

 マタギの村では、橇は辛い労働のシンボルだったが、先進福祉の町となった現在では、楽しみの象徴となった。
 特別養護老人ホームの入居者たちに雪灯かりを見せようと、暖冬にも関わらず雪運びをして道やかまくらを作る住民たち。
 雪見橇に乗った老人の笑顔が美しい。

{県外からの受け入れ:児童養護施設}
首都圏の児童施設から子ども達を招き、四泊五日を共にします。
別れの日、誰よりもたくさんの涙を流すのは沢内村の世話役代表さん。

「またこの沢内村に来たくなったら、いつでも来いよ。君達が来てくれて、誰も知っている人がいないと困るから、俺がずっと、じいさんになってもずっと必ずここにいるから。ずっと待ってるから」と言って別れを惜しむ。
そして彼の夢は「こんな過疎の村だけど、いつか、子どもがうじゃうじゃいる村にしたいな。な~んにもない村なのに、なぜかあそこいくと子どもが一杯いるっていうような・・・」


{生命行政}サブタイトルに「生命行政」とあるが、「行政」というよりも、むしろ村民や福祉関係施設の経営者たちが主体となって共に助け合いながら、村民の生活や暮らしを守り発展させてきた「協働」であるように思えた。

100歳になる男性が、自分の年老いた障害を持つ娘の将来を案じ授産施設の長に託するシーン、特養副園長の太田宣承(祖電の孫)が施設居住老婆の耳元での丁寧な話方、増田洋の関東からきた児童養護施設の子ども達との接し方と感激、だんだんと村の生活に溶け込みここで生きることを決意する若い母親など、表情豊かな生き生きした村民たちが登場する


小池征人監督作品


「もうひとつの人生」

アルコール依存症の人々が酒なしの人生を生きる道を選択し、かけがえのない自分を取り戻そうとする姿をドキュメントする

「免田栄 獄中の生」

死刑確定者で日本で初めて再審無罪を勝ち取った免田栄さんが自らの獄中での体験を語る。
毎日映画コンクール記録文化映画賞。

「ひらくまち」

4年をかけて追った、住民を主役にした地域改善事業、北九州市小倉南区北方3丁目のまちづくり物語。

「狭山事件-石川一雄・獄中27年-」

1963年5月狭山市でおきた女子高校生殺害事件の犯人として今も獄中にいる石川一雄。
27年間の時間の壁を越え冤罪の根拠を立証。


「商(あきない)のまち」

川越市一番街、蔵作りの古い町並みを残しながら、商のまちとしての新しい町づくりの試みがはじまった。

「水俣の甘夏」

水俣の海辺に広がるみかん畑。
海を追われた水俣病患者さんの、甘夏作りに励む姿、そして失敗。


小池征人

1944年、満州生まれ。ドキュメンタリー映画監督。
中央大学卒業。
東京大学新聞研究所に3年間所属し、日高六郎氏に師事。
その後、土本典昭監督の下で助監督としてドキュメンタリー映画づくりを学ぶ。
世界で初めて牛のと畜場の現場にカメラを向けた『人間の街 大阪・被差別部落』(1986)等、部落差別関係の作品多数。

【主な作品】「薬に病む-クロロキン網膜症」初監督作品「水俣の甘夏」「人間の街-大阪・被差別部落-」「日本鉄道員物語1987」「家族-部落差別を生きる-」「脱原発元年」「狭山事件-石川一雄・獄中27年-」「ひらくまち」「免田栄・獄中の生」「もうひとつの人生」「白神の夢-森と海に生きる-」ほか

監督語る…

戦後日本の忘れている大切なものがここにあると思ったんです。
以前、団塊の世代の社長同士が保険金を掛け合って死ぬという事件がありました。
30数年前は世の中を変えようとあれほど戦った世代が、今度は戦わないで資本の論理に負けたままでどうしてこんな事をするのかと辛くてね。

高度成長に踊らされた経済の尺度ではなく、自然の恵みの中の命という視点、命を大事に見つめないといけないと思ったんです。
そんな意味を込めて「いのちの作法」と言う題名にしました。
人間の持っている命は小さな物です。
1人じゃあたいした事は出来ないけれど、命をつないで次の世代が頑張ってくれれば良い。
偶然ですが冒頭の里山の風景の中にお墓が映っていた。

命と言うのは生れて死んででしょう。
死も避けられない事で、お墓を見せて人の一生を表せたのは良かったと思います。


もう一つの沢内村映画

「いのちの山河」岩手県沢内村、深沢晟雄村長の生涯

 昭和40年1月29日、東北の寒村を日本一輝く村にした偉大な村長が亡くなった。
岩手県沢内村、深沢晟雄(ふかざわ まさお)村長は、冬は雪で交通が閉ざされ厳しく長い冬を耐える生活だった、東北の村に最先端の医療で乳児死亡率ゼロを目指し、ブルトーザーを町で買入し冬中、幹線道路の除雪を始めた。

 他にも、教育長時代、゛行脚と対話゛で地域のニーズを広い、村できる産業おこし「ナメコ栽培」の普及に尽力、その中で婦人会の創立、村の広報誌の創刊、で村民の理解を得れ、村長になり国に先駆けて、1961年(昭和36年)老人と乳児の医療費無料化を実現、村に明るさと誇りをもたらしました。

リーダーとはなにか、一番厳しい生活をしている人の苦悩を少しでも取り除き、希望を与えること。

「いのちの山河~日本の青空Ⅱ~」は、自主製作の実行員会で作っています。
厳しい時代に製作費を集めてまで何故、みんなに知って欲しいか、「真のリーダーが、地方に不在」と言われる現代、かつて東北の寒村を日本一の医療の町に変え、地域性を活かした産業も起こした村長の生き様を追った作品。

「沢内村地域包括医療実施計画の目的と目標」
  <1962(昭和37)年計画策定 一部抜粋> 
幸福追求の原動力である健康を人生のあらゆる地域で理想的に養護するため
(目標)
①すこやかに生まれる
②すこやかに育つ
③そこやかに老いる
これらの目標を実現するためには、
誰でも(どんな貧乏人でも)
いつでも(24時間365日生涯にわたって)
学術の進歩に即応する最新・最高の包括医療サービスと、文化的な健康生活の保障を享受するすることが必要である。


ある時期、ある地方自治体がある首長の努力で光る時はままある。
しかしそれは永続したためしはない。
一瞬の輝きであり、永続した光には残念だがなっていない。
しかしここ沢内では深沢村長の意思が今も若者達によって継承されている。
深沢村長の事跡は語り継がれているが、意思まで継承され実践されていたとは。
沢内村は本当の社会保障の、国のやるべき基本機能を自分達でこともなくやり遂げている。
本当の地方自治体である。

小池監督は更に「昭和20年から35年までの15年間、日本人が試みた生き方の経験と教訓は人類の百科全書的展開がある」と紹介している。
日本人が真摯に命を考えた15年間だった。
そしてそのど真ん中に沢内村があった。

…翌36年国民皆年金皆保険がスタートした。
確かに輝いていた時代だ。
貧しいからこそ助け合う…生命尊重の15年間があった。




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