戦争と協働…二つの戦争による極貧を救った二つの協働:民生委員制度と生活保護制度

戦争と協働…二つの戦争と戦後起こった極貧の混乱を救った二つの協働:民生委員制度と生活保護制度

我国は近代、二つの戦争を体験した。
一つは、坂の上の雲:日清日露戦争であり、もう一つは太平洋戦争:第2次世界大戦である。
この二つの戦争で偉い人の犠牲になったのは下々の国民であった。
二つの戦争、勝った負けたにかかわらずどちらの戦争により戦後日本は極度の貧困に襲われた。

最初の戦争と最初の協働

最初の日清日露戦争後の経済混乱、貧困層の出現を救ったのが岡山県笠井信一知事の発案した済世顧問制度、現在の民生委員制度であった
大正6年5月18日天皇の御前における地方長官会議で「岡山県における貧民の状況は?」との天皇陛下からの直接の御下問に端を発し、笠井知事は1年にわたり県下をくまなく調査し諸外国の福祉制度救貧制度を研究思索し、ついに済世顧問制度を発案する。

翌大正6年2月10日行われた地方長官会議で新制度を天皇陛下に報告され、5月12日岡山県訓令第10号をもって済世顧問制度は設置された。

笠井が目指したのは「上から押し付けられた地方改良ではなく、下からの民間的、自発性に期待し、国、行政がこれに協力、助力するいいよりむしろ共同作業を為す」公私関係のもとに済世事業を考えていくことであった。

こうして「済世顧問制度」翌年大阪で誕生した同様な制度「方面委員制度」は、今日の言葉で「公私協働」当時の言葉で「官民一致」「半公半私」の制度としてその後民生委員制度に発展:全国に普及し、我国地域福祉制度の根幹制度となったのである。

国が福祉を行うのは国家基本機能であるが、それ以前にまず人間関係は相互扶助という大前提がある。
人は生き、人に生かされ、人を助け、人に助けられる、それが人間の存在の仕方。
この存在連鎖を自覚した時生きがいを感じられる。

誰かの仕事を引き継ぎ、誰かに手渡していることを自覚した時、
何の役に立っていないと思われる障害児でも実は、その存在によって、人に生きがいを与えている…障害児の無意識のほほえみは施設従事者のなにより大きな生きがいであったりする。

自分と他人との繋がりを理解したときこそ、生きがいも働き甲斐も存在するという思想である。

我国公私協働の発端は岡山に生まれた「済世顧問制度」にあった。
中央集権大正期にそういう地域との共同を発想をする官僚もいたのである。

現在の福祉思想はなお基本的には助けられるだけでしかない人間への援助を福祉と考えてはいないか。

原典 時潮社発行:小野修三著「公私協働の発端、大正期社会行政史研究」
当ブログ2007年7月13日号「済世顧問制度を作った官僚笠井信一物語」2007年10月24日号「公私協働の発端は民生委員制度にあり」にて発信中

第2の戦争と第2の協働


昭和20年8月15日 終戦
その後焼き野原となった国土を極貧が襲った。
いつ暴動が起こっても、いつ革命が起こっても不思議でない程多くの国民が最低生活を余儀なくされた。
この貧困層の出現を一番恐れたのは米国資本主義であり、日本の支配階層であった。
当時ソ連共産主義は中国を覆い、朝鮮半島も半分併呑されていた。
どうしても米国資本主義を守るため、日本の赤化だけは守らなければならない。
絶対革命は起こさない至上命令が下った。

貧困階層を見た目でも一掃しなければならない。
こうして誕生したのが生活保護制度であった。
昭和21年に各種救貧立法を統一する形で生活保護法成立した。


そして昭和22年日本国憲法が成立しその中の第25条との整合が課題となり昭和25年あらためて全面改訂し「新生活保護法」が制定された。

解決書などに生活保護法は、「日本国憲法25条の国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があるとする生存権の考えに基づき、設置された」とあるが実態は異なる。

貧しい国民を救う思想からでなく支配階層が自分達が起こした戦争によって生じた極貧による混乱の影響で起こるかもしれない革命から守るため終戦直後急遽整備した制度なのである。

だから国の力、総がかりの制度であるのだ。有無を言わさず目に付いた極貧層をある程度の経済力ある階層に持ち上げた。生活保護法の効果は大きく以後全く我国では革命の心配もなくなり、国民の意識も低下し長期政権が可能になったお土産もあった。
しかし国の基本機能である社会保障であるが、国はこの生活保護制度に実行部分を地方自治体に委託事業した。別な意味の国と地方の協働の誕生である。

最初の協働の意義は貧しい国民を地方と国が共同で救う、お互いに助け合う思想から出発した。
二番目の協働は強引な支配階層防衛の国策から地方に委託する協働であった。

民生委員制度は今も地域福祉の担い手として地域からそれなりの視線で見られる。
一目置かれる制度である。



しかし生活保護制度が国民に親しまれ身近な制度として見られるだろうか。
残念ながらNOである。
英国インカムサポート制度のように国民から誇れる愛される制度とはなっていない。
生活能力が壊滅し最低に落ち込んだ救いようのない場合に初めて救われる特別な制度として見られている側面がある。
英国のインカムサポートは普通の制度であり、我国のそれは特別な制度である。
その原因は下から国民目線で国民が勝ち取った制度でなく上から上の為の制度として成立した過程にあるのである。

二つの戦争とその犠牲として起こった極貧困層:それを救う二つの協働制度。
同じ局面で整備されたが、協働の意味が大きく異なるのである


生活保護制度について当ブログ2007年8月15日号「生活保護費と政党助成金」

2007年9月14日号「我国では革命は起こらない、最後にしっかり生活保護砦」

2009年8月10日号「ハリーポッターで返した生活保護の恩」

民生委員と生活保護制度の関係については2009年6月11日号「生活保護の実務を民生委員が行っていた」

で各々発信中
制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄


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