人類最初に月面着陸した男の写真が何故1枚もないのか……「フアーストマン」を読んで

崇高なミッションと…
月面で採取された岩石の90%は厳格に格納されたままである。僅か10%が現代の科学者に分析されただけである。残り90%は後世に託されているのである。


親しげなよそもの人間関係と…
自分が一番乗りと信じていたオルドリン博士はアームストロング船長が最初の1歩を記す計画と知らされ、怒りが収まらず、嫉妬に狂い、月どころでない宇宙飛行になった。
3人目のコリンズはチームを「親しげなよそ者たち」と評した。昼食も3人別々、準備に向かう車も3人それぞれ別々だった。チームとはいえない、とんでもない違いがあった。
ニール・アームストロングはこんな評判にこう答えた「海軍にいたにしては空軍の二人とうまくやっているよ」


1969年7月16日 アポロ11号はケープケネデーから月着陸に向け発射された。

ソフトバンククリエイテブ社発行 ジェームズ・ハンセン著
「ファーストマン」を読んで


上巻470ページ:下巻525ページに渡り、月への第1歩を記したファーストマンたる
ニール・アームストロングの全人生が詳細に語られる。

アームストロングの生い立ち

1930.8、オハイオ州生まれ、
オハイオ州は宇宙飛行士出生全米NO1:田舎の小さな町育ちで培われた資質価値観がマーキュリー計画のパイロットに共通な特徴ともなっていた

{ハイスクール時代}

空中に飛ぶ夢をよく見た
車の免許を皆が取るのにニールはパイロットライセンスを先に取った。

{大学での航空工学}

成績は普通、数学も体育も3だった。
1954年海軍飛行試験センターで研修、これが目指す方向を決定させた
成績も向上、6が3つになった流体力学なども5に。
後からはっきりしたポイント=月着陸を成し遂げたのは科学でなく工学だった。科学者でなくエンジニアが地球外世界に最初の足跡を残すことになる。

{海軍パイロットからテスト飛行士そして宇宙飛行士へ}

飛行時間は決して長くなかった、「飛行時間が多いから良いわけでない、任務は技術的仕事だ」とニールは言う。他のパイロットは「飛行術は劣るよ、機械に強いだけだ、現にトラブルも多い」と批判。しかし専門家の評価は「他のパイロットは与えられた任務を本能的に良くこなす、しかしアームストロングはその任務がなぜ重要か、理由を理解しきっている、今までにいなかったレベルのテストパイロットだ」と高まる。

{家庭に襲う悲劇}

1962年1月末、娘カレン2歳が脳内に腫瘍:コバルト治療もむなしく、ついに他界。
2月5日 現場復帰、飛行訓練   この間妻ジャネットは心の支えが欲しかった。しかし夫は傷を仕事で癒す。ジャネットは以後夫のこの行動に傷ついていった。32年後離婚
そして娘の死後数ヶ月ついに宇宙飛行士に志願、決断の背景に底知れない悲しみが…
悲しみの分だけ前向きな仕事に打ち込めた
悲劇は続く
1964年、自宅全焼 猛火と黒煙の中必死に6歳の息子を助ける 家族全員死と直面

宇宙飛行士の妻

夫に清潔な服をそして自分の着る服のセンス、体調管理、 夫の重圧は妻にも重圧。   
多くの宇宙飛行士は離婚している。国家目標達成の犠牲に、人生を捧げる。妻たちへのマニュアルが欠けていた。軍関係者は長期間家族と離れて生活、厳しい規律の軍隊生活が家庭に持ち込まれるのだ。  
 
{親しげなよそ者たち}

1969年1月  マイク・コリンズ、バズ・オルドリン、ニール・アームストロングの3人はアポロ11号搭乗を命じられる。
人類初の月着陸への挑戦飛行。コリンズは陽気で気性が良く冗談好き。オルドリン博士は宇宙飛行局全体で最も博識、野心家でもあった。このオルドリンとうまくやれるのはニールだけだから組ませたそうである。  

{最初の1歩}

最初の1歩は自分がとオルドリンはずっと思っていた。信じていた。新聞もそのような論調だった。しかしどうやらニールになりそうだ。他人に接すると裏工作を疑われる。そこでニールに直談判をする。…ニールを嫉妬し、腹を立ててしまう。いらいらが積もってしょうがなくなる。本人がぐずぐずしているので父親が裏工作を行う。
飛行訓練チーム責任者は「何10回の月面リハーサルで一番確実な計画実施の一環でアームストロングが最初、次にオルドリンが着陸した方がベストだけ。それで選択した」と解説。しかしマスコミでもアームストロング船長が強権で自分を最初にしたなど報じられる
一部からニールは氷の船長とも言われていた。どんなシーンでも冷静な彼に関係ない報道だった。

{ブルーブック調査:米国空軍公式UFO計画}

アポロ11号の発射から月着陸までずっとある種のエネルギー体謎めいた光物体があとを付けて着ていた。3人も閃光か稲妻みたいなものを目撃している。何ものかを発見し月着陸を中断したニールをヒユーストンが落ち着かせてから再トライさせたなど色々言われている。
米国空軍が組織的にUFOに関する情報を収集した。この計画がブルーブック調査。
アポロ11号でヒットは5000件 UFOでは446万件


1969年7月20日 月面:静かな海に着陸成功
アームストロング船長38歳人類最初に月に第1歩記す。
これは人間にとっては小さい1歩だが、人類にとって大きな跳躍だ


記念写真は

二人が月面で行動し写真を撮ったが、オルドリンはニールを狙って1枚も撮影してない。
ニールはオルドリンの見事な写真を何枚も撮った。
月に最初に立った男の写真は1枚もないのだ。

「撮りそこなった、後になって気がついた」とオルドリンは語った。
ニールは「カメラは私が持っていた時間がずっと多かったし、だから写真の責任も負っていたからだ」と言った。ただオルドリンの地球の写真や自分の足跡の写真など全て計画で命じられていた写真であった。ニールを撮る任務はなかった。

その後何十回何百回の講演の際、スクリーンに映る最初の1歩の男の写真が1枚もない。
人生とは筋が通らないものだと。…宇宙飛行士の訓練では写真撮影も訓練に含まれていた 
ニールにとって任務を遂行することだけで、飛行に集中していた。写真にとってもらうことなぞ些細のこと。

月に残したもの

採集した岩石の90%は後世のためまだ保管されたまま。10%が分析された。
あのオルドリンは月に子どもの写真を持参した。
しかしアームストロングは息子や家族のため何も月に持って行かなかった。思いやりにかける時間が彼にはないのですとジャネットは今でも心を痛めている。
その後何人かの飛行士は家族の写真や月面の塵に娘の名前を書き残すなど行った。
ニールは一切行ってない。亡くした娘の写真やおもちゃなど月に残すことをすれば一層後世の人から尊敬され評価を高めただろうか。

{地球帰還後}

オルドリンは歓迎会のスピーチが大の苦手で苦痛な毎日が続いた。逃れるため強度のアルコール中毒からうつ病になってしまう。
ニールは大学で講義を行うが、まもなく大学の人間関係、政治になじまず退却。
今までもこれからも私は野暮ったいエンジニアと語る寡黙の人だった。アムストロング秘密軌道に…面白おかしく報道ネタに。

有名人としておきな代償、犠牲が払われる。捏造説などいやがらせは絶えず、
最後にゴルフのシーン…バンカ-からやっと脱出5ヤード。それから又一生懸命打って5ヤード前に進んだ。ここでそっと同伴者が曰く、「これが月に行った男か」

陽気な明るいコリンズは、ニクソン大統領から何がしたいか聞かれ即座に「国際親善の仕事がしたい」大統領はすぐ国務長官に採用を約束させた。帰還後は彼が一番似合っていた。
同じく大統領の質問にニールは生真面目に「何で貢献出来るかまだ良く分からない」と答えたと言う。                               

月に第1歩を記した男の詳細をこの本は伝えている。3人のチームは皆それぞれ極めて人間的だあった。コンピュータ以上という頭脳を持ち、俺が最初と思っていたオルドリンは二番目に落とされたと驚愕して、その後栄光の月飛行どころでなく、帰還後もうつ病になってしまう。
そのオルドリンさえ月に子供の写真を残して来た。しかしアームストロングは任務に夢中でそのような感情は持ち得なかった。亡くなった娘の髪の毛とかおもちゃを残せば永久に良き父親像としてヒローにもなったのに。秘密軌道のアームとさえその後陰口を言われる。
3人目のコリンズだけが喜んで親善大使として帰還後は全世界を巡る。
精密な機械を操る極めて人間性豊かな宇宙飛行士たち。憧れの存在の真実であった。

誠にこの本は面白かった。でも宇宙飛行士よりUFOの方が数万倍も検索されるとは別の意味で驚いた。人間は努力の塊物語より、あくまで不可思議性:神秘性の方に憧れるのであろうか。



制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄




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