維新の春でなく江戸の秋を描ききった小林清親の情と志と男意気

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小林清親「東京新大橋雨中図」
とうけいと読む。
TO―KEIと絵の中でもタイトルされている。

前時代を否定し、伝統文化を切り捨てる明治国家の強引な近代主義を小林は批判、旧幕臣系人びとの反権力意識と文明開化の時流に取り残されながらそれに抗する江戸根性の庶民の様々な生活を、この作品で描ききった。

豊かな情を備えた優しさ、世の変遷を耐え抜く強靭な志を保持しているか
それが男意気


幻戯書房発行河原宏著「秋の思想」かかる男の児ありき286ページ


小林は弘化4年1847隅田川河畔で幕府御家人の子として生まれた。
慶応元年長州征伐に従う。
慶応4年鳥羽伏見の戦い従軍。
幕府崩壊、小林は静岡へ。
明治7年生活の為上京、画業の道へ。

明治9年から14年までの間、日本印象派先駆者、最後の浮世絵作家、光と影の作家として歴史にその名を留めることとなる。

明治9年(1876年)、大黒屋(四代目松木平吉)より洋風木版画の「東京江戸橋之真景」「東京五代橋之一両国真景」でデビュー、同年8月31日から「光線画」と称して昭和初年以来『東京名所図』と総称される風景画シリーズ(計95種)を出版し始める。その西洋画風を取り入れたそれまでの浮世絵にはなかった新しい空間表現、水や光の描写と郷愁を誘う感傷が同居した独自の画風が人気を博し、浮世絵版画に文明開化をもたらした。

明治9年冒頭の東京新大橋雨中図も描かれた。
なぜ明治9年から14年までの期間小林は魂と資質を燃焼しえたのか。
それは時代が機会を与えたとしか思えない。

この期間、正に文明開化の時代だった。
国をあげ、伝統的なものを一掃しようとする勢いだった。
夏目漱石は「ご馳走が目の前にならべられたが、はっきり目に映じない前に膳が引かれ次の新しいものが並べられている」と表現した急変の時代だった。

ロンドンのテームズ川、パリのセーヌ川など歴史的な大都市の中心部を流れる川沿いに高速道路を作り川の頭上を車が疾走するところなどどこにもない。
日本的な歴史の蔑視思想そのもの。
日本橋は醜であり亡の遺産でもある。歴史的回想や情趣を建設官僚は全く知識も顧慮もなかった。

小林の作品は、雨、夜、傘、後姿に日々失われていく江戸の面影を辿って描かれている。

海運橋第一銀行雪中

新建築への驚嘆も礼賛もなく、開花期の雪景色が描かれる。
傘をさす女性は滅び去った旧時代、消え行く江戸情趣を弔う巫女でもある


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柳原夜雨
近代特有の自己主張は抑制され、雨の夜景そのものである。
建築物は夜の闇に浮かび上がる新しい風物でしかない。

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東京新大橋雨中図
暮れなずむ雨雲に覆われた彼岸は去り行く江戸の世である。
橋は現世と彼岸を結ぶ象徴。
川面に漂う一隻の船は旧幕臣小林清親の運命そのもの。
近代的風景の直線、鋭角、原色と異なり、橋と彼岸がつくる楕円状の画面があの世とこの世を結びつける可能性を保障している。
蛇の目傘の女性は橋を渡り向こう岸に行ってしまう。
彼女を呼び戻す術はない。
柔らかく柔らかく落ち着いた雰囲気の絵である。

衰退し滅び行こうとする時代:江戸の全ての精神と情趣への哀感、愛惜、思慕の念を示す。
東京は明治初年から10年頃までとうけいと呼ばれた。
江戸の男意気だった。
小林清親は薄暗がりの過渡期、光と影の時代の原点の男意気だった。


日没
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