螺鈿の床・さそりの床 友重繁遺稿集

ある年はサルタンの螺鈿の床に伏し
敗れては孤島の枯草にしととねして
夜半、さそりの足音に怯ゆ。

毎日新聞社発行 螺鈿の床・さそりの床 友重繁遺稿集  518ページ

平成31年神奈川新産学公交流サロン:第78回西湘サロンは、年頭1月15日おだわら市民交流センターUMECOで開催される。
今回のテーマは人生が華やぐ自分史を書いてみませんか?」
講師は一般社団法人 自分史活用推進協議会 自分史活用アドバイザー樋口 薫氏

さて今回のブログで発信したのは、その自分史の恐るべき傑作とも言える友重繁氏の自伝「螺鈿の床・さそりの床」の紹介である。
1966年 「この稿をあえて児孫に遺す」から始まり、61歳から6年間徒然に書き綴った402ページ。
昭和42年11月 完成 私家版 有楽プリント社発刊 贈呈35冊 贈るべき人に送り終わる。
68曳 遠き水は 近き火を救わず 

友重繁氏のご逝去の後、3回忌を迎えるにあたり長男の淑郎氏、4男竹内恵司氏の手により友人等関係者の追悼文集も付され、螺鈿の床・さそりの床は改定され、518ページもの大作になった。
明治、大正、昭和激動の時代を偲ばせる、達眼の士、在野の反骨男の一代記である。


明治幼少編  岡山県立師範学校時代
大正青春篇  早稲田大学時代
昭和壮年編  東京日日新聞社時代
以上がエリート街道まっしぐらの螺鈿の床時代、…

敗戦編  マラヤ軍政監部調査報道室長時代

大正14年1925年東京日日新聞社入社
編集局勤務の傍らマラヤ語講習を受けていた。
将来東南アジア特派員となる野望からだった。
昭和8年前橋支局長
昭和9年東京本社編集局参事

昭和16年12月8日 太平洋戦争開戦、友重氏と一家の人生は多くの日本国民がそうであったように激変暗転した。
以下はさそりの床時代…
昭和17年陸軍第25部隊司令部嘱託としての出頭を命じられた。
シンガポールへ8千キロを軍用航空機で赴く。

マラヤ軍政監部調査報道室長
マラヤ・トレガンヌ州軍政所長
第一段階のマラヤ侵攻は成功だったが、昭和20年初頭には大本営も本土決戦を目途とし南方軍は二義的になった。
敗戦。
昭和20年8月16日 マラヤ在留日本人400余名退避行動。
流浪の一団を率いていた。
…英軍捕虜…
餓島レンバン抑留

レンバン
…シンガポールの南方約60キロ、赤道直下に位置し、植生は熱帯雨林に覆われている広さ4万2千坪余のオランダ領の無人島。
第一次大戦時ドイツ軍の捕虜がこの島に幽閉され全員餓死していた

太平洋戦争において、連合国に降伏した東南アジア方面の日本軍兵士11万人以上が同島に集められ、日本本土への復員を許されるまで約1年間抑留された。
労役はなく食料は自給だ。
連合国軍は十分な食料を支給せず、日本軍兵士は島に生息する鼠や蛇、サソリまで食べて飢えをしのぎ、「恋飯(れんぱん)島」と呼んだ。
島に復員前に死亡した日本兵の慰霊碑が建てられている。

221ページから242ページまで、想像を絶する苦しい島での生き残りの戦いが記されていた。
…an style="color:#930">島にはさそりが多かった
しらぬまに雑嚢や靴の中に入っていた。
夜半ガサッと這う音をきくと跳ね起きるほど敏感になり、雑嚢は中を確かめてから手を入れ、靴を逆さまに振ってから履く習慣も身についた
余りに多く死人が出ているという状況下、昭和20年12月 連合国軍視察団が来た。
以来時折栽培用の種苗の配給があった。
皆必死で自分の大小便を苗の根元に注いだ。
速く育てたかった。

帰国 群馬へ 社会教育創設期:群馬の友重時代

昭和21年5月22日 第二次帰還船で帰国 広島県大竹港へ
妻子の待つ疎開先群馬へ…
しかし前橋の大空襲で子供たちは郷里岡山に戻っていた
岡山に急ぐ 妻は、子供たちは…しかし
…橋林寺 妻の入った骨壺に香を手向けた。
妻富貴子33歳没

懐かしい山峡の生家にたどり着く
幼い子供たちは泣き笑いのような顔を見せた…
私は思い切り声を上げて泣いた…


餓島から帰還し以来一日も身心は休めなかった
死んではならぬ―東京で懸命に働く―3年経った、49歳 群馬県庁で顔見知りに呼び止められた…

昭和24年4月 群馬県教育委員会就職 社会教育主事、成人教育係長
文部省主催 東京教育大学を会場に行われた社会教育主事講習参加 受講生代表あいさ

昭和32年4月 県立博物館長兼社会教育館長歴任
人の来る博物館に  特別展の連続企画など発想 社会教育新館の建設に剛腕発揮
 特に公民館活動に注力す 全国表彰にも
県立図書館にみやま文庫開設
総合文芸誌風雷の同人として参加。
随想「老いたる馬よ」投稿が絶筆となる
 


昭和37年1月定年退職   …人生修行の仕上げだけは怠るな…

昭和56年1月27日 永眠 享年81歳


竹内恵司氏は父友重繁氏を本書で、母富貴子氏について湘風舎から「母からの贈り物」264ページを刊行されている。
2冊並べると約7センチ半にもなる重厚本で誠に立派な装丁である。

本ブログでは2015年2月27日付けで―母からの贈り物…赤いトマトが宿命から学び、運命を開き、天命に生きることを教えてくれた人生感謝の物語―を発信させていただいた。

竹内氏はなんと親孝行なお人であろうか。
中学卒業まもなく氏の発した言葉
=人間は一生懸命働いて、人の役に立てば何とか生きていける=


制作発信  金丸亜紀雄

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