絢爛たる北条の女たち 第二話 三代氏康の娘桂林院殿

絢爛たる北条の女たち 第二話 三代氏康の娘桂林院殿

武田家滅亡の際、小田原に逃げず凛として夫勝頼の死に従った桂林院殿。
武田勝頼:北条氏康同盟と氏康の娘桂林院殿

西から信長の近代化された大軍に攻撃され長篠で大敗した武田勝頼は次に西が恐怖だった。
西から北条に今攻められたらもう滅亡しかない。
北条とよしみを交わそう。

武田家を北条の傘の下に入れてもらいたい、縁者してほしいと頼み込んだ。
天正5年1577年 北条氏康の娘(氏政の妹)桂林院殿は武田勝頼に輿入れした。
お輿入れに従いお供に早野内匠助と剣持右衛門、清水又七郎が付き従った。

天正10年1582年3月11日山梨天目山を目指していた。
部下にことごとく背かれた勝頼に従う者わずか43人。
ついに勝頼自害。

氏康の娘であり勝頼の奥方桂林院殿は北条以来の家来早野内匠助と剣持右衛門、清水又七郎を呼んだ
「私の最後を見届け小田原に戻って申し上げて、亡き後を弔って欲しい」
勝頼は「桂林院とお前たちは小田原に早々に戻れ」と強く言った。
いや私は貴方と同じ最後を」桂林院殿は毅然とした態度で言い放った
我々も奥方と一緒に最後をとの早野ら家来の申し出を「このありさまを小田原に報告し、死後を弔うのがかえって大事な務めです」と桂林院殿は凛とし思いを込めて言った。さすがに家来はようやく折れ、小田原に向かったのであった。


三代氏康の娘桂林院殿は正に禄壽応穏の人だった。

長尾景虎 関東管領に

大敗し衰亡眼前の上杉憲政は策した。
越後の長尾景虎に「上杉の家督を譲るから北条を懲らしめてほしい」
「関八州の上に立つ管領を相続してほしい」
長尾景虎は上杉謙信となった。
天文21年1552年
かくして氏康は上杉を越後に追放したのである。

三代氏康娘桂林院殿は正に禄壽応穏の人だった。



参考資料
教育社発行 江西逸志子原著 岸正尚訳「小田原北条記」上下

ブログ発信  金丸亜紀雄

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