チリ地震津波が発生した昭和35年、福島県から原子力発電所の誘致表明がなされた。

チリ地震津波が発生した昭和35年、福島県から原子力発電所の誘致表明がなされた。


1960年(昭和35年)

5月24日未明
三陸海岸を中心に北海道、宮城、岩手一体を6mの大津波が襲った。
チリの巨大地震で発生した18mの巨大津波が22時間後地球の裏側の日本を襲った。


11月29日
福島県から東京電力に対し、同県内双葉郡への原子力発電所誘致の土地提供の表明がされた



翌昭和36年

9月19日大熊町議会にて原子力発電所誘致促進を議決する。

10月22日:双葉町議会にて原子力発電所誘致を議決する。


昭和41年

7月1日:1号機の原子炉設置許可申請を提出する。

12月1日:1号機の原子炉設置許可を取得する。


1967年(昭和42年)9月18日:2号機の原子炉設置許可申請を提出する。

9月29日:1号機を着工する。

1968年(昭和43年)3月29日:国が2号機の原子炉設置を許可する。

1969年(昭和44年)4月4日:福島県と東京電力の間で「原子力発電所の安全確保に関する協定」が締結される。

7月1日:3号機の原子炉設置許可申請を提出する。

1970年(昭和45年)1月23日:国が3号機の原子炉設置を許可する。

1月26日:1号機に最初に装荷する燃料がこの日と2月4日にGE社ウィルミントン工場より運び込まれた

7月4日:1号機において核燃料を初めて装荷する。

11月17日:1号機の試運転を開始する(翌年5月11日に記念式典を実施する)。


1971年(昭和46年)2月22日:5号機の原子炉設置許可申請を提出する。


同年3月26日:1号機の営業運転を開始する。


福島県当局の甘さの伝統今も…

環太平洋地震帯の対岸、チリで起った巨大地震、巨大津波を目の前にしながら、対岸の火事とばかり自分の住処に原子力発電を誘致した福島県の甘さの伝統は今も生きている。
対岸ではない、日本の立地を考えたら
身近な巨大地震であり巨大津波であるのに。
自然はそんな甘くはない。

福島第一原子力発電第2原発で事故発生直後の緊急連絡が、10キロ圏にある6町にうち4町に行ってなかった。
県の防災計画では、原子力発電所の重大事故発生に伴う緊急連絡網として、専用デジタル回線を構築してあったが、これが震災発生で故障し、一般電話も携帯も不通。
原発冷却装置壊滅の超重要情報は全く4町には連絡されなかった。

ラジオ等で情報を把握した広野町、楢葉町では独自に住民に危険が迫っていると判断緊急避難を実施しことなきを得た。
福島県自慢のEPZシステムは平常時ならテレビ会談も行えたそうであるが、肝心の緊急時には作動しなかった。
もっとも国が数100億円かけて構築してあったSPEEDI緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムも全く機能しなかったが…。
福島県の担当者は「事故当初、混乱したが最大限努力した。最終的に連絡がつかなかった自治体が
あったかもしれない」と語っている。
福島県の防災面での心構えの甘さが本番で露呈した。
原子力発電所を抱える自治体でも他山の石としねければならない。


1号機 BWR-3
沸騰水型軽水炉
1971年3月26日
46.0万キロワット
ゼネラル・エレクトリック(GE)
鹿島建設

2号機 BWR-4 沸騰水型軽水炉 1974年7月18日
78.4万キロワット
ゼネラル・エレクトリック(GE)
鹿島建設

3号機 BWR-4 沸騰水型軽水炉 1976年3月27日
78.4万キロワット
東芝
鹿島建設


40年間使用して来た…

お宅では車を40年間で何回変えましたか?
テレビを何回変えましたか。
40年前の車:テレビは思い出せないほど古いものではないですか。
しかし福島原子力発電所の原子炉は40年間使いずめで3月11日まで使われて来た。
この原子炉の設計者自身が語っているそうです。
「40年以上前に設計された原子炉を今も使っていること自体どうなのか」



安価でも安全性低い沸騰型原子炉か、高価でも安全性高い加圧型原子炉か?

東京電力では前者を選択した。
米国では放射能対策の弱さ危険性が原子力委員会から勧告された前者は全く使われていない。
日本でも関西電力や九州電力は後者を選択した。
当然である。
今回放射能に弱い沸騰型の欠点が徹底的に実証されてしまった。しかも40年の老朽化。
設計者は耐用年数を40年としてきました。1号機は40年を過ぎている。
国(前政権)と東京電力は60年とする延長を考えていた。
安全性より経済性をそこまで追求することは許されたものではない。
憲法13条の国民の幸福追求権を阻害する国自身の違反行為であった。


エネルギー対応にしかし原子力発電は現状必要である。
要は安全対策、安全の思想である。
これは人間性が勝負。
女川原発には安全を信じて避難された住民も多い。
期待に見事にここは答えている。
ここに将来のエネルギー対策の姿がある。

更に言えば、等ブログでも紹介したが、コペルニクス的展開の新しい水圧エネルギー開発が平塚市内ある企業で開発されている。
このような起業創業には力強い根気強い支援が必要である。
成功すれば日本はこの水圧エネルギーでエネルギー大国になる可能性があることも加えたい。
エネルギーと環境の将来を明るするかどうかは人間の知恵次第。
知恵を信じている。

制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄

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