社会保険労務士の昭和史…社会保険労務士制度の生き字引鈴木輝男が描く波乱万丈社労士誕生秘話

中西實古井喜實
高度成長が生んだ二人の實の闘いが国民期待の一つの制度を創造した



昭和38年5月 労務管理協会会長に中西實就任
中西實=大阪生まれ、東大卒 労働事務次官を辞め労働福祉事業団理事長だった
中西新会長の元、労務管理士法制定に向け本格的活動が始まる

昭和42年  社団法人社会保険士会発足 会長に古井喜實就任
古井喜實=元厚生大臣 東大卒内務官僚 42歳の若さで内務次官
 :松山善三監督の映画「われ一粒の麦なれど」の主題となった小児麻痺予防のための生ワクチンを自民党の猛反対を押し切りソ連から緊急輸入した気骨ある鳥取県人


高度経済成長により労働・社会保険諸法令は重要性を増し、複雑専門的になりつつあった。」
企業の発展に適切な労務管理は緊急切実な課題でもあった。
労働・社会保険諸法令に通暁し労務指導を適切に行える専門家の育成が望まれ、国家資格を付与し労働・社会保険行政の外延的存在足らしめるための法制化が進められた。

そしてついに昭和43年社会保険労務士法が成立した
それはまた二人の實を頂点にした労務管理士と社会保険士の激しい業界ぐるみの闘いの歴史でもあった…


社労広報センター発行 鈴木輝男著 社会保険労務士の昭和史 250ページ



Ⅰ、高度経済成長と労務事務揺籃期

昭和30年 鈴木輝男 労働新聞入社  労働基準局、労働基準監督署回りが日課に。
監督署などに事業主が届け出る書類作成の代行業者は企業と行政の架け橋として重要性が増していた。
昭和31年 労務管理協会が設立された。38年日本労務管理協会、昭和40年には日本労務管理士協会に解消発展。

昭和37年 国民皆年金皆保険時代に。

社会保険の専門家の必要性が叫ばれた。
昭和42年日本社会保険士会設立。
昭和43年社会保険労務士法5月10日第58回国会で成立。6月3日公布。12月2日施行。
以後10年間、厚生省、労働省を巻き込み、労務管理士協会と社会保険士会の果てしない泥仕合が始まった。想像を超える様々な出来事、事実の詳細が本書には克明に綴られている。


Ⅱ、 社会の要請と省と業界巻き込む波乱を象徴した新国家資格は木に竹を接ぐ名称「社会保険労務士」に

社会保険労務士=弁護士、税理士、司法書士に比べなんと長たらしい名称か。
その謎は?
第一段階 労務管理士法
第二段階、労務保険士法
第三段階、社会保険労務士法=双方を繋ぎ合わせた、木に竹を繋いだ名称になった。

昭和13年厚生省誕生
昭和22年労働省設立

厚生省、労働省両省主管、主務大臣2人
名称も2つを1つに重ねた、行政機構の生い立ち、両省間、両団体間の主導権争い、縄張り争いの影響をもろに受けたユニークな社会保険労務士制度それは正に激動の昭和史そのものである。

労務管理士界→会員数約2万6千人、傘下団体数27
社会保険士界→会員数約1万3千人、傘下団体数1

名を捨て実を取った日本労務管理士協会
12年もの間労務管理士法の法案成立を目指し活動してきた日本労務管理士協会に衝撃が走った。
当時の労務代行業の実態は社会保険関係70%、労働関係30%の実態から、社会保険士界は労務保険士ではなく社会保険を頭に冠した名称にすべきと強く主張、一歩も譲らなかった。
社会保険士独自に法制化目指すとさえ恐慌に主張。
中西寛会長の英断で労務保険士法を断念「社会保険労務士法を採用した。柏木高美副会長。労務管理士名は特許庁に登録された。屈服だった。


>>;;Ⅲ、黙ってなかった労務士協会、労働省対負けられなかった社会保険士協会、厚生省
2団体並立時代へ…遠い大同団結


昭和46年10月14日東京虎ノ門共済会館で労働省サイドの社団法人日本社会保険労務士会連合会設立総会開催。
労務士管理協会の延長実態を隠す工夫の為中西實は会長代理に就任。
略称社労連の実権を掌握していた。
日本労務士管理協会は同年10月15日解散した


厚生省は昭和46年8月25日、社団法人社団法人日本社会保険労務士会(略称日社労)の設立申請を許可。日本社会保険会は日本社会保険労務士会と名称変更。
定款等を社会保険労務士法に合わせた組織改革を掲げたが実態は労働省傘下の労務士協会が結成目指した社労士団体に対抗して連合会()社労士の名称先取りを図ったものだった。


労務士の中西会=両者は合併し各々は解散する提案
社会保険士の古井会=組織改革はするが解散する必要ない
話し合いは平行した

昭和45年1月14日労働省は社会保険庁に「業界再編成に協力して欲しい」申し入れ。
同年同月16日社会保険庁は社会保険士会に「労務管理士会と円満話し合うこと」伝えた。
両省庁の行政指導で両団体協議会が開催されることになる。

昭和46年1月両団体協議会は決裂、申し合わせを行った。
①両団体は社会保険労務士の資質向上目指し各々事業を行う
②相互に連携し共同で事に当たる
③今後も定例に会合を持ち意志の疎通に配慮、主務官庁の指導の元制度の円滑な運営に努める

決裂の主因

①会長にお互い中西案、古井案を譲らず
②構成員に社会保険士会は有資格者、労務管理士会は取得者で譲らず
③役員数に社会保険士会は会員数比例案、労務管理士会は半折半案で譲らず
④設立時期は社会保険士会は46年4月1日、労務士会は45年11月に固執し譲らず

本当のまとまらない真相
内幕→両者とも財政逼迫火の車だった。
社労連は開業社労士中心、公認労務士の呼称を望む
日労連は企業内勤務社労士を重視、原点は労務管理士法であり法改正の趣旨もその原点復帰を主張
7年経過しても大局論は両者から豪も見られなかった


>>;;Ⅳ、10年鍛えてようやく一人前⇒昭和51年6月1日、労働省、厚生省両省立会いの下、ついに団体1本化基本原則合意確認調印式が行われた

名称は全国社会保険労務士会社団法人とする。
本部役員は両団体から同数。
会員構成は開業、非開業を問わずいずれも免許取得者。

同年9月1日全国社会保険労務士会の設立総会が開催された。

会長は古井義寛、会長代行に中西寛」。
名実ともに専門家社会保険労務士がこうして難産の末大同団結した
平成13年中央機構改編厚生労働省設置へ。



Ⅴ、最終章に20ページ余の「社労士制度の読む年表」が詳細に掲載されている。
代行屋と呼ばれた時代から60余年
国家資格「社会保険労務士」の歴史は正に日本経済成長の歴史、国民皆保険皆年金:社会保障の歩みそのものでもある。
波乱万丈。
しかし今後も日本経済は激しい時代の変貌とともに成長し、世界に誇れる国民皆年金皆保険:社会保障制度もも少子高齢時代に的確に整合させていかなければならない。
社会保険労務士の必要性はますます重要性を増す。
社会保険労務士の先達、スペシャリスト、生き字引たる鈴木輝男氏には、今回は社労士を誕生させた業界の内部の内幕を克明に綴ってもらったが、次作として「社労士と事業主、従業員、国民との関わり、昭和平成60年の貢献史」を著して頂きたく期待するものです。
事業主、従業員、年金や健康保険に関わる国民一般に対しての社労士がいかにお役に立ってきたか貢献の実録集をお願いいたします。


Ⅵ、2012年3月7日
社労広報センター代表 鈴木輝男氏は社会保険労務士誕生秘話を語った。

神奈川SR経営労務センター湘南ブロック研修会で鈴木氏を講師にお招きし「社会保険労務士制度40周年記念講話」をお話しいただいた。
「制度誕生の背景」6ページ資料、「業界統一裏話」16ページ資料…裏話の方が興味津々、面白く且つ熱く講義は続いた。
実に克明で貴重な資料であったが今回の「実録社会保険労務士昭和史」の下書きにもなったのではないだろうか。。

昭和8年 東京北区生まれ  81歳盤寿の年
昭和31年 日本労働新聞編集局入社
労働新聞の記者として労働省、厚生省を担当
昭和42年退職
昭和43年 社労士法制定と同時に月刊社会保険労務士界」創刊
社会保険労務士試験問題集発行
昭和45年 顧問先配布用「事務所だより」製作開始
昭和48年 株式会社創新社設立
社会保険労働保険手続き便覧発行 社労士、事業主、行政待望〝永遠のベストセラー〝に。
全国社会保険労務士会報月刊社会保険労務士編集
氏の人生は正に〝社会保険労務士の歴史〝でもあり今後もエネルギッシュに歩んでいってもらいたい。

ブログ氏は平成21年春、労働保険社会保険手続便覧製作のお話を聞きたく神田の創新社本社屋で鈴木氏と面談し政策にまつわる思い出話をお聞きした。
そして別れ際、鈴木氏から「社労士成功の秘儀」を伝授されたのだった。
…ダレニモ披露シテイナイ、タダシザンネンナガラ、秘儀ヲ実行モシテイナイ ワタシノココロノオクニアル宝モノデアル…


制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄






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