母からの贈り物…赤いトマトが宿命から学び、運命を開き、天命に生きることを教えてくれた人生感謝の物語

上場4社中の1社、日本のお客さんに愛される会社10社中の1社にどうしてサン・ライフはなったのか?


それはこの本に書かれている。
人は、一生懸命働いて、人の役に立てば何とか生きていけるのである。
そして人は、宿命から学び、運命を開き、天命に生きるのであると…。

湘風舎発行  竹内恵司著「母からの贈り物」264ページ


第1部 宿命と清流の広瀬川編

1、母と赤いトマト

昭和20年8月5日 前橋大空襲。
焼夷弾が降り注ぐ。
執拗な波状攻撃。
前橋は町中大火災に襲われた。
病身の母は空襲の火の手を避け広瀬川に身を浸けた。
焼夷弾と機銃掃射から逃れるためだが重病の身に長時間川の水に浸かっているのは余りに酷だった。
母はその夜から衰弱が加速した。
9日 恵司は兄と一緒に入院中の母を見舞った。
母の枕元に二つのトマトがあった。
帰り際二人の子供に真っ赤なトマトが渡された。
6日後の17日母は永眠。享年33歳。
恵司10歳。
15日終戦。


2、父子家庭

父が復員した。しかし捕虜生活で体を壊しなかなか定職に就けなかった。
父子の困窮生活が始まった。
父は子供を前に言った。「高校に行かせたいが今は出来ない」
兄弟は絶望に慣れていた。驚かなかった。
高校に行けないが受験だけはと挑戦した。
合格だった。
恵司少年の密かな精一杯のプライドだった。
一番悔しかったのは中学の同級生から声を掛けても無視されたことだった。
高校生と中卒、明らかな差別があった。
「家が貧しいから進学出来なかっただけだ、試験は受かったんだぞ、今に見ていろ」――この敵愾心が恵司のその後のがんばりの原動力になった。
そんな父だが怖かった。
息子二人を前にして「うちの家系は武士の血筋だということを忘れるな」と父は口癖のように言っていた。
腹の足しにはならない言葉だったが、無意識のうちに血肉になり自然に自分の人生観の支えになっていった=先祖に対し恥ずかしい生き方は出来ない=精神の心張り棒は父の存在と先祖の存在だった。

3、昼間は営業マン、夜は夜間定時制高校に

映画館のフィルム運び、書物の配達、ピアノや学習教材のセールス、売れた商品の運搬も請け負う…車と人夫の手配と費用計算し利益を生む算段、声を掛け、商談を結び、納品し感謝され利益を生む、この自己完結の経験は大きな自信という財産、成長の肥やしになった。
そして夜は前橋工業高校夜間部に入学。
家が貧しくても高校に行ける道がある。疎外はされていない。
常に前を向く父譲りの気骨があった。
4年間の夜間高校、卒業の日、教師は言った。
「入学した時は55人だったが、卒業するのは24人になってしまった。
昼間働き夜学校に来るのは並大抵でなかっただろう。
よく24人の皆は頑張ったな。
これだけで大成功者だ。
これからの人生、つらい時悲しい時色々ある、その時はこの4年間を思い出してほしい。
誇りに思え。皆はどんな苦難にも耐えられる」
今も恵司はこの夜の教室の情景をありありと思い浮かべることが出来ると言う。

4、就職差別より国家資格を

高校卒と夜間高校卒の厳然とした差別があった。
しかし、これを克服するのは国家資格取得だ。資格は公平だ、力のあるものが取れると敢然と挑戦した。
丁度新たに診療放射線技師が国家資格に制定された。
群馬大学医学部放射線科で実習生募集。応募合格。
夜間の県立診療放射線技師専門学校の設立に寄与。
県の教育委員会に勤務しながら通学。
国家試験は年1回東京医科大学で行われた。
合格率38%の難関を睡眠3時間の猛勉強で突破した。



第2部 運命と奔流の相模川編

1、湘南の海の町平塚へ


湘南電車が相模川の馬入橋鉄橋にさしかかると、左手に海が広がり、暖かい陽光をまぶしく照り返していた。海に憧れていたせいか、湘南っていいところだなあ、としみじみ思った…

この瞬間から彼の運命は,海が広がるように大きく変わり飛躍が続く。
今、サン・ライフグループの本拠地がこの第2の原点の地平塚の玄関口相模川河口馬入の地に展開する。
上場企業サン・ライフ本社棟、女流囲碁棋戦拠点ホテルサンライフガーデン、結婚式場グランドビクトリア湘南、介護付有料老人ホームサンガーデン湘南、ネーミングライツ「ひらつかサン・ライフアリーナ」等々に結実し、〝万屋の発想〝で客様をお迎えしている。

平塚で一番繁盛していた倉田病院にレントゲン技師として請われ勤務。
早朝深夜を問わない救急医療対応と倉田重久院長の、平塚の消防団を束ねる統率力、腕力に満ちた営業能力に惚れ込む。
前橋や川崎など他の良い条件の大病院職場を選ばずローカルな平塚の倉田病院に決めたその決断は絶望の淵から這い上がってきた男にしか持ちえない直観であり、世の中の動きを見る嗅覚の鋭さに間違いはなかった。
連日外来患者であふれかえっていた活気ある病院で24時間365日働いた。
独身の恵司を院長は家族扱いで食事行楽まで一緒だった。
縁があり倉田院長の仲人で創業30年葬祭業のサカエヤ竹内家にむこ養子入り。結婚。
友重恵司から竹内恵司に。
人生行路決断に、思いがけないことに自分を大事にしてくれるという竹内家ご両親の温かさにふれたことが大きかった。
実父繁の「屋台店引いてでも一生人に使われる人生は送るな」という繰り返し聞いた言葉も後押しした。
家業に専念、顧客という経営資源を元に、人、物、金をゼロから作るスタート。


2、母の二十三回忌 

恵司を頼むよ、頼むよ…何度も何度も手を握り言い続けてお前のお母さんは亡くなっただよと叔母から初めて母の臨終の情景を聞いた。
臨終の母の想いを二十三回忌にして初めて知った。
巨大な岩で頭を砕かれたようなショックだった。
俺たちを置いて先に行ってしまったとばかり母を恨んでいた。
その母が……。
残された者より先に死んでいく者の方がその何百倍も辛かったろう。
それに気づかず被害者面して過ごしてきた自分。
死んだ人の最愛のこの世に生きる人に対する強く生きて欲しいという願望の魂のエネルギーは最愛の残る人の人生に永く生き続ける…そのことが分かった瞬間から人生は大きく変わった。

前橋高岑院 赤城山麓嶺公園墓地
母冨貴子の墓碑の前で詫びて誓った。
しっかり生きていくよ、心配はかけないよ。

3、母からの贈り物

母と一緒にいたのはわずか10年の年月だが、その後今日まで永い間ずっと母に守られてきた。
母が亡くなってからの苦難の連続は、全て母の愛情に守られて乗り越えられてきたのだ、素晴らしい体験を、社会から学ばせて頂いたのだ。
生きる為の必死の日々の実体験こそが、私の今日を支える障害の教訓として生き続けている。
母も私もトマトが大好きだった。
母が亡くなる10日前、母の枕元にあった真っ赤なトマトを持っていくように言われた。
今日のことのように思い出す。



第3部  天命:悠久の川編

IN通信社発行 鶴蒔靖夫著「自分らしい人生の卒業を望むあなたへ」
竹内恵司が語る「輝く明日が見えてくる旅立ちの覚悟」237ページ
サン・ライフ発行 「サン・ライフグループ80周年記念誌」127ページ
PHP研究所編 お客様に愛される会社 本気のCSで心をつかむ  206ページ


{発展}   
仏具店サカエヤの家業を任された2年目の昭和40年、株式化と手形決済から内金決済を始めた。
20社以上の問屋関係者に理解いただき導入を勇断。
攻めにも守りにも経営上の要諦はキャッシュの確保であり、早くも近代的経営への布石に着手した。

昭和44年 神奈川県互助センター設立
翌45年  神奈川県冠婚葬祭サービスセンタ設立
サカエヤと互助システムを車の両輪に一大飛躍に入る…


米国、カナダ、フランスの葬儀慣習、葬儀業界事情視察。

昭和55年 平塚斎場オープン ホテルサンルート平塚オープン

55作戦スタート=恵司44歳、10年後55歳までに平塚、伊勢原、海老名、相模原、八王子5地域に結婚式場斎場をそれぞれ5施設設置する作戦。5市合わせ人口は90万人になる。今後は更に発展が見込まれる地域だ。

昭和60年 株式会社サン・ライフ、株式会社サン・ライフサービスに社名変更
サン・ライフ=お客様、先祖、その子孫の3世代にわたりお役にたてるよう行動することを使命にした強い思いを込めた名称である。過去、現在、未来に対して敬意をはらい心を使う。3界への敬いの心と実践を社是とした。


昭和61年 鶴嶺学園設立。
昭和61年 神奈川情報通信専門学校開校
昭和62年 関東最大級セレモニーホール平塚斎場オープン
平成2年  神奈川社会福祉専門学校開校

平成8年  サンライフ株式東証ジャスダック上場
同年 英国から実物チャペル移築、グランドビクトリア八王子オープン
平成10年 葬祭ディレクター技能審査協会会長に就任
平成11年 サンレジデンス湘南特養オープン
平成15年 サンキッズ湘南開園


言葉

●ご葬儀とは何万年も続いてきた人生終焉の時の大事な行事です。
人生が終わるときのお祭りで、人生で最も敬うべきものです。

●生きとし生きるものはご縁の中で見送られるのです。人間は共存して生きていく存在の象徴がご葬儀です。このことは古今東西変わらないことです。決して歪めてはいけない。

●村10分=どんなことがあっても、村8分になっても火事と葬儀だけは惜しみなく力を貸すものだ。

●葬儀は人を成長させる場です。親の葬儀は大きな試練の場であり、これを乗り越え世代交代を集まった人々に告げる…責任を自覚し毅然としたものが生まれる、葬儀の持つ大きな力に注目しなければならない。

●70歳でやるべき旅立ちの極意
①余命10カ月の優先事項
②お別れの手紙あいさつ
③相続遺言、卒業式招待者リスト
④肖像
⑤服装
⑥身の回り整理整頓
⑦親しみ:費用:準備と感謝

■竹内恵司:奴雁の目
危惧してます。それは現在の葬儀に悼む心が薄れつつあることです。
家族葬では称える人もいなければ振り返る人もいない学びのないご葬儀になりかねない。
人生の教訓を故人から学び、受け継ぐ決意を固め、感謝とともに大切に送り出す。
残された人の役目は、そうした本来の意義を込めたご葬儀を執り行うことである。
故人への崇拝と敬意を込めることが最も重要です。
故人は人生の師です。
師として崇め、最後の深い交流を果たす場として、大切に執り行っていくことを望みたいです。




竹内恵司の語る自分の葬儀

自分の葬儀は、普通〝の葬儀で良いと思ってます。
お坊さんが読経を上げてくれ、ゆかりの人々が訪れて焼香をしてくれる。
手を合わせて「ご苦労さん」と言ってくれたら。それで満足です。
私も来てくれた人々に感謝しつつ、無事卒業させてもらうことだろう。

長い時間をかけて確立した葬祭の現在の姿には、一見、無意味な形式主義と見えても、深い意味があるものだ。
そのことを受け止めたうえで、送る人も送られる人も、心のこもった別れが出来れば素晴らしい。
生きることと送ることの絆こそ、どんなに時代が変わろうとも変わらないし、変えてはいけないのです。
これからも、明るい旅立ちのお役にたてればと思ってます…。






制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄





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