海の街、平らな町に何故営林署があるのか?   箱根連山、丹沢連峰を管理する平塚営林署の不思議

山行文から…箱根山で/span>
登山道に入ると、いきなり木製の看板が現れた。
お、道標かと喜んで近づくと、そこには「駒ヶ岳」という文字はひと言も書かれておらず、
ただ、平塚営林署が立てたことと、ボランティアによって整備されたことが記されていた。


山行文から…丹沢で

早戸川の一大支流原小屋沢左岸の片隅にポツンと置き去られたダルマストーブ
平塚営林署管轄の造林小屋があったところだ。


国有林調査報告書から…

平成10年、林野庁東京営林局発行「 丹沢山地森林生物遺伝資源保存林 設定地域森林調査報告書」

14ページから平塚営林署管内国有林の変遷が22ページまで報告されている

文中一部抜粋…「調査対象区域は、 神奈川県の北西、 丹沢大山国定公園内に包含される平塚営林署 … 中略  …など丹沢山系中央部を構成する主尾根と、 その源流部である玄倉川上流部一帯を 林政統一によつて高尾地区は一時甲府営林署に、 津久井地区は平塚営林署に.以下略

Ⅰ、平塚市立野町38番2号に平塚営林署はある


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平塚は相模湾に面する海の街、砂丘地帯に街並みが形成される。そんな平らな街に営林署はすっかり溶け込んでいる

バス停にも

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交通信号にも

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Ⅱ、何故平塚に営林署が

①1924年(大正13年)に何があった…営林署の誕生

大正10年 平塚市平塚に平塚公有林野官行造林署が置かれ、13年平塚営林署と改称。
東京営林局に属し、農林省所管国有林管理、官行造林地の造林、経営業務担当、管轄区域は神奈川県、静岡県熱海市伊東市に及ぶ。

…国有林野の管理,経営業務は林野庁の所管であるが,その地方機関として,9営林局(北海道,青森,秋田,前橋,東京,長野,大阪,高知,熊本),5営林支局(函館,旭川,帯広,北見,名古屋)の上級管理機関と260余の下部管理機関である営林署がある。

1924年(大正13年) 従来の林区署制度(〈国有林〉の項参照)が廃止され,営林局,営林署が設置された。


平塚営林署は皇室財産を管理するために存在した

★皇室財産と国有林経緯

帝室林野局(ていしつりんやきょく)は、明治から昭和戦前期にかけて存在していた宮内省の外局である。
宮内大臣の管轄下、皇室財産である御料林の管理経営をおこなった。
1885年発足の御料局(ごりょうきょく)を前身とする。
1908年に帝室林野管理局(ていしつりんやかんりきょく)として設置され、1924年に改称した。
第二次世界大戦後の1947年に廃止された。

御料局時代

帝室林野局の前身は、1885年12月23日に設置された宮内省御料局(ごりょうきょく)である。
同局は皇室財産を確保し維持発展させることを意図し、官有であった山林・原野を御料林へと転換して管理経営をすることを目的に設置された。

実際の御料林編入が本格的に行われたのは大日本帝国憲法公布及び帝国議会開設を目前に控えた1888年から1890年頃であったが、当初は境界の査定や測量など御料林の画定事業に追われ、実際的な経営が行われるようになったのは1897年頃になってからであった。

帝室林野管理局時代

1908年1月1日、前年に制定された宮内省官制の施行に伴い、御料局は独立した官制を持つ外部部局として再発足し、名称も帝室林野管理局となった。
当初は本局に9課(ただし、常置は7課)、地方に7支庁・47出張所が設置された。
1914年には支庁制を廃して札幌・東京・名古屋・木曾(福島町)の4支局と京都事務所に再編してそれまで各支局に属していた56出張所を再配分した。
1921年に東京支局・京都事務所を廃止して管轄12出張所を本局直轄とし、東京に林業試験場を設置した。

帝室林野局時代

1924年4月8日に帝室林野局に改称され、東京支局を再置して旧東京支局・旧京都事務所に属していた本局直轄12出張所を管轄させた。
1937年に拡大する御料林に合わせる形で本局を2部7課制にして旭川支局を設置して5支局57出張所体制に再編された。


戦後の編入

GHQによる宮内省組織の縮小要求や農林省との林野行政を巡る対立を避けるための「林政統一」論に押される形で1947年3月31日に帝室林野局は廃止され、残された御料林は翌4月1日付で農林省林野局(後の林野庁)管轄の国有林に編入された。



③徳川家康の平塚宿「中原御林」が皇室財産に=ここに営林署が存在する鍵があった

1596年(文禄5年)に徳川家康の命により、江戸・駿府間の往復や鷹狩りの際の宿舎として建てられた。
「御鷹野御殿」「東照宮御旅館」「雲雀野御殿」ともいったが当時の呼称は「御旅館」。
規模は東西約140m、南北約100mで約7100坪の広大な敷地を持っ御殿造営の頃よりこの地や平塚宿などに黒松を中心とした植林がなされた。
合計127町歩に及んだ松林は中原御林(なかはらおはやし)と呼ばれ厳重に保護された。
1796年(寛政8年)以降、江戸城西丸普請や御台場用材としても利用されたが明治以降、東海道本線の駅舎建築に使用する煉瓦を焼くための燃料として刈り尽くされてしまった

中原の地は水害のない砂丘上にあり、中原街道で江戸から日帰りできる御殿造営に適した土地といえる。
その後は江戸幕府の基礎固めに関する重要な密議の場所として使われ、大阪の陣・武家諸法度・大久保忠隣改易などの重要な政策決定がこの中原御殿で行われたといわれる。

  『風土記稿』によると中原御殿は東西七十八間(141m)・南北五十六間(101m)で、その面積は四千三百六十八坪(1.4ha)と書かれ、中の建物としては家康の居間・寝所のほか、御蔵・御賄所・御殿番所・小者詰諸・鷹方屋・御馬小屋などがあった。

四方には幅六間(10.9m)の堀がめぐらされ、敷地外には典医屋敷・鷹匠屋敷・中原代官屋敷などもあり、城郭・城下町的な構造を持った御殿だったといえる。
家康の中原御殿への宿泊は慶長10年(1605年)以降詳しく記録されており、この時期に家康が大御所として居城の駿府と江戸を頻繁に往来していたことがその背景にある。
家康は中原御殿において土豪との会見や民情視察を行うと共に、外様大名や将軍家臣との会談、大名の改易処分や論功行賞などもおこなっていた。このように中原御殿は臨時に政治を行う場として、家康の大御所政治を担う重要な機能を持っていた。

 中原御殿は御殿番士によって管理され、寛永19年(1642年)に修復されているが、徳川第4代将軍家綱の明暦3年(1657年)に撤去された。
この年に江戸では明暦の大火が発生し江戸城と城下町が焼失したため、多くの材木が伐採されて江戸に運ばれた。中原御殿も裏門を残して建物は全て引き払われ、第5代将軍綱吉の元禄10年(1697年)には跡地に松・檜などの「御林(おはやし)」が植えられ、新たに「東照宮」が建立された。

中原御林

  中原御殿の周囲を囲うため慶長6年(1601年)に家康は代官頭伊奈忠次に命じて、松苗を植栽させたのが「中原御林(おはやし)」の始まりといわれている。
御林とは幕府の直轄林を指し、他の地頭林・寺社林・百姓林などと大別されていた。中原御林の規模は15箇所、約120町歩余にわたり、この結果一面芝地であった付近一帯は松の生長に伴い、御殿の囲いのみならず防風・防砂・水源涵養などの役目を併せ持つ地域へと徐々に変わって行き、田畑としての耕作地の拡大が図られた。
  明暦3年(1657年)に江戸へ解体移送された御殿の跡地に松苗が植栽され、結局御林は16箇所、126町9反2畝5歩が確定した。
この中原御林16箇所は、御殿地・上宿・比丘尼・北中・阿孝・諏訪部(すわべ)・天王・入口・南中・浅間・十八間・浜嶽・新宿・入会・西清水・東清水の各御林で、市域の砂丘列上に植栽された。

  享保10年(1725年)の「御林改め」によると55,195本(雑木549本を含む)が植栽されており、管理取締は代官江川氏の権限により御林守が任命されている。そして生育した御林の木は土木用材・建築用材・船舶用材などに利用され、これらの用材の運搬には須賀湊から船に積み、曳航されて目的地に運ばれた。


明治維新後の御林

中原御林16カ所126町歩余の松林は維新後維新中央政府が管理する官有林となった。
明治18年1885年12月23日 皇室財産を確保、維持発展させることを意図した宮内省御料局が設置される。
官有林は御料林へ転換が図られた。

中原御林も明治21年1888年~22年に宮内省御料局が管理する御料林に編入された。
ここに平塚に営林署が置かれる謎を解く鍵があるのである。


そして日本海海戦10日後の明治38年6月7日の「火薬自国製造」閣議決定翌8日火薬製造の契約と大きく動く政治と軍事の動向に中原御林も関わり、宮内省管理から海軍省所有地に下付されたのであった。

この部分は本ブロブ2014年9月1日から4日までの連続シリーズ「海軍火薬廠と平塚」に詳細を発信したところである。

徳川家康の中原御林が皇室財産になり、平塚にこれを管理する営林署が設置されたのである。
御林管理に含め、近在の丹沢、箱根、伊豆の山もここに管理させた。
そして主軸の官有御林が海軍管理下になり火薬廠に変貌したが副軸の箱根、丹沢の国有林管理はそのまま維持されてきた経緯があった。
海のない街平らな町平塚にこうして今も営林署は存在するのである。



箱根山行文から再度

平塚営林署の関係者の方とも一緒になり、4名パーティーでしばらく歩いたのでした。
 ここで、営林署関係者の方から貴重な話を聞かせていただきました。
その方はその下調べで調査に来られていた見たいで、曰く、国が数千万円の予算を付け、箱根内輪山の登山道を来年3月までに大幅に整備するとのことでした。
先程通った早雲山の倒木、すり鉢状になったりした歩きづらい道、果ては神山の頂上にベンチも設けるそうです。
近々ヘリコプターで資材を引き上げ作業が始まるそうです。 
ボクの存じ上げている箱根町観光ガイドの安井ガイドとかがボランティアで登山道を直してらっしゃるのを聞いていましたが、国も立ち上がっての整備事業みたいで、国有林エリアだったら、平塚営林署に言えば直してくれるとのことでした。

…今も箱根連山、丹沢連峰は海の街平塚にある神奈川県唯一の平塚営林署(関東森林管理局 東京神奈川森林管理署)が何事もないように普通に管理している。何故など思う方がおかしいのかもしれない。
でも、営林署には徳川家康、大日本帝国軍部、米国上陸作戦コロネット作戦の大きな関わりがあったのである。



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