東日本大震災を地震学者は予知しなかったが、危機管理専門家はきっちり予知していた  責任感有無の勝負だ

東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん)は、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒、日本の太平洋三陸沖を震源として発生した地震である。
東日本大震災を引き起こし、東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした



驚くべき巨大地震と津波と原発事故を的確に予知!地震学者は想定外でも地震は素人でも危機管理・失敗学の専門家は的中させていた

Ⅰ、東北大震災の予知
  
東北大震災の5年前、2006年4月に小学館から発刊された畑中洋太郎著の「失敗学事件簿」の138ページ目に、2003年5月26日発生した三陸南地震から学ぶ防災教訓が生々しい緊迫性を伝えながら種々述べられている。

警告→
戦後50年間は静穏期だったが阪神淡路大震災からいよいよ活動期に入った。
2003年5月三陸南地震 震度6弱
2003年7月宮城地震、震度6強
2004年10月新潟中越地震  震度7
2005年8月宮城沖  震度6弱
2006年4月 失敗学事件簿発刊  東北大地震警告

静謐期から動揺期に入った覚悟を国民全体で持つべきと警告。
地震→津波→破壊→火災と来る。
1896年の明治三陸大津波では38メートルの巨大津波が襲来し2万2千人以上が死亡した。
言い伝えや伝聞、警告があるにも係わらず海岸近くに人家が下がって来ている。
近いいつの日か、大災害は起こりえる。
とにかく知識の伝達が必要。
過去の地震から学んだ標準、基準が役立った。
これらの共有化が絶対必要。
141ページ目には宮古市姉吉地区の「此処より下に家を建てるな記念碑がページ大に掲載されている。

Ⅱ、原発事故への警告

2006年10月講談社発刊 畑中洋太郎著の「失敗学実践講義」の187ページ目に
東海村臨海事故の失敗から学ぶが記述されている。


1999年9月東海村にあるJOC核燃料加工施設での事故で大量の放射能を浴び、作業員2名が死亡。
1名が重症。
JOCは事故後核加工業から撤退、事業の遂行が出来ない状況となった。
事故前130人の人員をコストダウン目的に50人のまでリストラ。
安全管理より効率管理優先が驚くべき無知、手抜きの作業体制を生んだ。

事故、失敗から学ぶことは多い。二度と起こさないことが肝要。
その手法に動態保存がある。
事故を起こした現物を保存し、失敗を再確認するのである。
事故は忘れたい、多くの企業はそう思う。
しかし再発防止には後世の人に一目で分かる実物の残骸は効果的、嫌な事だが、ここから学ぶことは多い。


東海村の臨界事故、二度とあってはならない、動態保存を提案したが、村議会はこれを拒否した。
風評被害を恐れたのだ。
一刻も早く忘れて欲しい、忘れないよう⇔相反するテーマであり、これは東海村の人びとの願いでもあるので無理となった。

しかし原子力の事故は作業員だけでなく、近隣住民の避難も已む無くなるなど被害は巨大になる。
事故の真実を追究し、正しい情報を積極的に発信しなければならない、そういうことがきちんと出来る社会にすることが、事故の再発防止に繋がる。

事故は正に社会の共有財産なのだ。
東海村事故を起こした側の一人は「事故前と事故後は世界が違って見える、生きているけど生きている価値はない」そこまで語っています。
この方は事故を、真実を痛切に語りたがっているのです。

事故の検証も重要だが、事故の起る前に事故を起こして(想定して)仮想演習すること=危険学が大変重要である。かってないほど安全な社会になって来ましたが、かってないほど危険な事故も発生してきているのも事実です。




Ⅲ、地震の予知は困難 こちらは白旗

地震予知は困難と日本地震学会及び内閣府中央防災会議は見解を発表
地震予知という言葉を極力使用しないことを申し合わした。
地震予知をおこなうことを全体に潤沢な研究費を得てきた当の地震学者が地震予知の可能性を自ら否定したのだ。




日本地震学会の改革に向けて:行動計画2012より…
(4)“地震予知”への取り組みを見直すこと


東北地方太平洋沖地震の発生を契機として“地震予知”に対して多くの批判があった.
また,この地域でM9地震が発生することが事前に予測することはできず,地震研究者の間からもこれまでの研究に対して反省の声があがっている.

同様の批判・反省は兵庫県南部地震の後にも見られ,地震予知研究計画の見直しにおいて,「地震予知の実用化」をめざして地震直前の現象を捉えて地震がいつ起こるかを短期的に予測しようとする「短期的予知」の手法の確立に重点を置いてきたそれまでの地震予知研究計画の方針を転換し,到達可能な目標に基づく基礎的な研究へと舵を切ることとなった


Ⅳ、平成24年(2012年)<イタリア中部ラクイラ地震で警報も出さなかったと地震学者らに過失致死傷罪適用の有罪判決

その数ヶ月前からラクイラ地方一帯は小規模な地震が多発していた。
そのため、大規模な地震につながる可能性があるのかどうかを問う地震予知の専門家の会合が開かれた。

その結果、参加した研究者達からは短期的には大きな地震は起きそうもないという見解が示され住民達を安心させた。
しかしそれから1週間後の夜半3時に地震が発生、300人もの死者を出すに至った。

罪に問われたのは、マグニチュード6・3の地震が発生する直前の「高リスク検討会」に出席した7人。
国立地球物理学火山学研究所のボスキ所長や、記者会見で事実上の安全宣言をした政府防災局のデベルナルディニス副長官(いずれも当時)らが含まれる。


 当時、現地では弱いながらも群発地震が続き、「大地震が来る」という在野の学者の警告がネットで広まっていた。
市民の不安を鎮めようと政府防災局が開いた検討会で、学者らは「大地震がないとは断定できない」としつつ、「群発地震を大地震の予兆とする根拠はない」と締めくくった。
検討会の前後にデベルナルディニス氏は「安心して家にいていい」と述べた。

 判決理由はこうした経緯を認め、ボスキ氏ら学者が以前からラクイラ付近での大地震を予測していたことを指摘。
検討会でのリスクの検討は、知見をすべて提供しない、表面的で無意味なものだったとした。
「メディア操作」を図る政府に学者が癒着し、批判せずに従ったことで、法や市民によって課された「チェック機能」としての役割が失われたと厳しく批判した。
「被告らの怠慢が市民に安心感を広げ、慎重に対応していれば救えた命を失わせた」と認定した。

 また「地震予知に失敗した科学者が裁かれた」との誤った認識に釘を刺す意図からか、「裁判は、地震についての知識の正しさ、確かさを証明することを目的としていない。
法に定められたとおりのリスクの検討がなされたかどうか判断した」と記しているという。

 判決は昨年10月に言い渡された。
7被告は控訴するとみられる。
ANSA通信によると、ボスキ氏は「私は長年、イタリアでの大地震の可能性を警告してきた。
判決は、あたかもその日だけ危険を否定したように認定している」と不満を示した。

今回の判決は地震発生の予知の責任を問うものではなく、多発している群発地震に対する十分な分析が行われなかったことと、知り得ていた情報を住民に対してしっかり伝達しなかったことに対しての責任を問うものであった。

研究者の見解の裏には、住民を不安に落とし入れ、混乱させないための配慮の面もあったのかも知れないが、判決はそれが決して正しい判断ではなかったことを示している。
つまり、人々を安心させるのが科学者・研究者の役目ではなく、彼らの果たすべき仕事とは、事実をありのままに伝えることにあるというわけである。

Ⅴ、地震予知は可能になるか!かすかな光明も

平成23年(2011年)3月11日 の前兆はあった=NASAの観測衛星は巨大地震の3日前から三陸沖で大気中のラドン濃度が急激に上昇していた。
震源域の岩盤が破壊されることでラドンガスが大量に発生した。
ラドンガス濃度上昇こそ大地震の顕著な前兆現象である







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