老後安心VS厚生年金基金・厚労省・AIJ投資顧問連合軍…守るべき聖域がよってたかって食い荒らされた

$$$高齢社会到来…年金制度は成熟期に入り保険料収入より給付額の方が多い時代、市場のパイは限られていた。
運用の需要を上回る供給体制であり、限られたパイの争奪戦市場に突然現れた弱小AIJ投資顧問株式会社が何故10年足らずで、2,000億円もの保有資産を誇示する大手に肉薄する運用会社になったのか。
そこには厚生年金基金という巨大な舞台が存在した。
本書はその舞台で演技するAIJ社、基金組織、厚生労働省、年金情報誌とそれに繋がる様々な人物を実に克明追い、AIJ事件という巨悪犯罪を分析する。そして本当の主役であるべき汗水たらし働く労働者はただの観客でしかなかった事実を糾弾する$$$


講談社発行 永森秀和著 「年金詐欺」 253ページ

第1章 虚像

・2012年1月23日 日本国金融の中枢街日本橋のとあるビル8階、AIJ本社及び関連企業に証券取引等監視委員会証券検査課の立ち入り検査が行われた。

・2012年2月24日 約2,000億円の年金資産が消滅した事実と、AIJに対し業務停止命令が公表された。
世にいうAIJ事件の始まりである


・被害顧客102件、うち厚生年金基金が9割になる91件。失われたのは年金積立金。
聖域の老後の安心資金であった。

・厚生年金基金=加入者延べ1,700万人、約1,000万人が受給中、企業年金の中でも最大で総額は80兆円国家予算に匹敵するスケールである。

・大事な老後安心資金を運用する。
当然確かな経験、スキルをもつ専門家、システムが精密機械のように信用に操作する。しかし社保庁から素人が天下りし、劣悪な投資環境の中で舵取りを行う。
無謀であり、愚かでもあった。
しかしそれが厚生年金基金の実相であり、老後の安心が広く騙し取られた背景でもあった。


・10年間で2,000億円の資産が運用失敗で消失。
しかしこのこと自体は投資運用行為の結果であり犯罪性はない。
営業行為の水増し価格でファンドを販売し購入させたことが詐欺罪、金融商品取引法違反として立件の対象とされた。

・2012年12月 東京地裁104号法廷。
被告はAIJ代表の淺川和彦、年収5,000万円の取締役高橋成子、AIJ営業本部でもあるアイエムティ証券西村秀昭社長の3人。


・94%の勝率が朱色で目立つA4サイズの運用報告表がAIJより顧客に毎月配布された。

・10年間運用好調な元気な会社AIJは、数ある投資顧問会社の中で異質だった。
07年の規制緩和で許可制から登録製に変わり、圧倒的な買い手市場、供給過剰業界だった。
積極的に自らをPRし広く認知してもらわなくては商売にならないのに、メデアや同業者、コンサルタントとの接触を絶つAIJの「知られないように」との作戦は誠に異質、異様でもあった。
まるで正体を見やぶられないために逃げ隠れしているようでもあり、それでいて、運用好調な元気な会社との評価も基金仲間で定着しファンドは拡散続けていた。


代表取締役 淺川和彦
役職員   12名
設立 1989年
実際は2000年、資本金3,000万円で事業開始、米国系シグナ社を買収したことで同社の運用実績を手に入れ、1989年設立とした。

・主武器としたのが私募投信=投資信託にヘッジファンドを盛る。
個人投資家に比べ当市経験が豊富なものを対象にする。目論見書など作成義務がなく情報開示の負担も少ない。1998年12月この制度が日本にも導入された

第2章 増殖

AIJは一時神格化され、極小零細運用会社を10年で100件以上の顧問先を確保し大手に肉薄する手腕を発揮した淺川は教祖化もされた。
株式・債権など伝統的運用手法の右肩下がりが続く相場展開のズバリ限界を示し、オオプションなど脱伝統的革新的商品の優位性を力説、嘘の実績で目を晦ます効果抜群の営業戦略だった。
「運用の手口はあえて明かせません。基金の為にもなりませんから」
先進的人気のヘッジファンドなどは情報開示を要求する客に「開示しません、いやならお断り、投資しないでけっこう」と強気。それでも順番待ちの売り手市場ぶりだが、これをAIJIはまねていた。

◎広告宣伝は全く行わない。
豊富な基金の人脈による口込み作戦、相対での顧客対応に特化していた。
壮大な信用の輪を作った。
基金からの紹介が一番ものをいう。
だから顧客は全国万遍でなく首都圏、長野、京都、愛知と偏っていた。
業種も、建築、タクシー・トラック、石油と重なり合った。
常務理事同士の情報交換会、勉強会が口込みの絶好の機会だった。


◎社保庁ノンキャリアの☆と言われた石山勲氏をAIJは取り込む。
都内年金基金の常務理事も経験、コンサルティング会社を経営しテレビ番組でも運用に取り組む姿が放映された人材。
石山氏は在籍した基金から基金資産をAIJに委託しなんとAIJに入社する。
彼の豊富で深い厚生年金と基金の知識、人脈。
天才的な営業能力の浅川にミスター基金の石山、鬼に金棒を得て、AIJの営業基盤は著しく強化された。
(この辺はAIJ元社員告白書でもある九条清隆氏の「巨額年金資産消滅」に詳しい)

◎広告塔には大手企業のトップ歴ある著名経済人も採用。
◎接待攻勢=顧問先を紹介するような基金には厚遇した。

接待を日常化し顧問との関係、顧問間関係を深めた。孤独な立場の常務理事を狙い撃ち。
一夜数10万になるほどの高級接待。
贈り物なども頻繁に行われ、純粋な被害者と一概に言えるかどうか。
この贈収賄の構図は深すぎるため検察は加害者AIJ,被害者基金の明解な図式を選び、接待事案には目を瞑った。
全容は解明されず深い霧のままが確定した。限られた人物に絞られた詐欺事件ではこの事件は到底描ききれない。


第3章 因果

●富士電機厚生年金基金=AIJ委託100億円
   同社会長 加藤丈夫氏は同基金理事長、厚生年金基金連合会理事長の要職を務め、年金制度・運営に精通する稀有の人材で年金業界ではスター的存在であり、同基金はモデル的ケースだったが…

何故AIJに委託の方法を採用したか?

①運用環境悪化で積立金が不足、財政難のはなはだしい基金は指定基金として公表される。AIJ委託基金の81件中14基金が指定されていた…貧すれば…解散も認められず、財政難は続き、ただただ苦しむだけ…

②基金のスポンサーは加入企業、最初の事業主は意欲も支援もあったが、事業は継承され2代目、3代目になると、制度への理解も志も薄れ、「なんでこんな制度」と、掛け金増の負担の合意など見向きもされない。

③AIJ顧問基金は地域、業種、部会など偏った集団活動・情報収集の機会が多く、常務理事の多くは社保庁出身者で結びつきが強かったため類は類を呼んだ。

④変動激しい伝統的運用の株式などより、オープンやオルタナブルなど新手法で確実長期的安定志向を謳うAIJの戦略は基金の望むところをぴったり衝いた

⑤運用の経験を積むほど伝統的運用から脱却しオルタナブルなど革新的手法に取り組み難局の打開を図る傾向の基金も出始め向こう傷は問わない傾向も見られた。新規ファンド発掘→運用改革進む→一方リスク感覚がなくなる危険性をはらんでいた。

⑥基金の建前は合議制組織制だが、実態は常務理事一人で運用判断する基金が多く、人の良い、孤独な立場が狙われる振り込め詐欺に似ていた。会議で採用決定はいつもすんなり。

第4章 疑惑

・08年11月、年金基金専門誌「年金情報」誌による委託運用会社人気ランキング第1位=AIJ
09年2月、「年金情報」誌…「消えない日本版マドフの影、金融庁も関心」掲載
 08年9月のリーマンショックに全世界の金融が混乱、下落相場のする中、唯一あるヘッジファンド1社だけ依然として高値安定の神がかり的運用成績を継続していると発表しながら運用内容や財務残高など情報は全く開示しない同社の不自然さを追求報道。
AIJ虚偽ビジネス疑惑に警鐘。

・2012年2月事件発覚まで…
疑惑報道後、少数の基金は解約したが、90を超える過半の顧客基金は契約を継続したままであった。AIJ側は強力な営業活動を展開、顧客基金が紹介するなど新規顧客も増加していた。

09年2月下旬関東財務局監査がAIJ傘下アイエムテイ証券に入ったが、行政処分はなかった。定期の管理適正監査だったので運用内容は吟味されなかった。
このことが逆にAIJグループの国検査パス(シロ)として大いに宣伝に利用され、新規採用の機運も高まったのである。


第5章 豹変

◎厚生年金基金制度昭和41年発足時、資産運用の8割以上が国内債券、貸付金など堅実な金利ものだった。
1980年代、バブル期後半にさえ過半数が高金利を活用、リスクある株式運用などの積極的運用には程遠い、いわば素人でも稼げる時代、基金は、保険料徴収と年金給付の制度管理があくまで本業で運用管理は副業的なものだった。

△1994年、生命保険会社の一大保険商品「一般勘定」の利率5.5%絶対保障が見直され大幅に引き下げられた(現在1.2%~0.75%)。
  当時の基金はこの「一般勘定」運用を前提に成り立っていた(平均40%程度)ことから死活問題になった。
基金の保障利率5.5%を確保達成する保障がなくなったのである。


☆1996年全茶連厚生年金基金が財政的に健全であったが、大事な年金資産を財テクには回せないことを理由に解散。
運用環境の厳しい変化を感じ取る自発的解散であったが、厚生労働省は「リスクをとってこそ年金運用」との基金関係者の空気もありこの解散を強く批判した。


□1997年アジア経済危機、国内では山一證券倒産など不景気から長期に渡り株式が低迷した。この苦境打破の為もあり政府は、年金基金の運用資産配分規制(5・3・3・2規制)を撤廃。年金資産が株価対策に利用された。

□1995年基金の平均リスク資産割合が25%→2000年56%に達す。

●中小企業の総合型年金基金がリスク資産割合60%前後に対し、大企業基金は軒並み40%とリスク運用を避け始める。東京ガスや東京海上火災基金など株式運用から撤退し債券運用に完全移行。

●2000年代、大企業基金は代行返上など基金制度設計の見直しに奔走。電力各社、花王、エーザイ、京王電鉄など積み立て超過へ。
  中小企業総合型基金は痛んだ財政の転換をリスク運用に求め続けた。積み立て不足は本来は掛け金引き上げで解消すべきであったが、経営に苦しむ加入企業への説得の努力よりリスク資産運用のほうが汗もかかず気兼ねもなかった。



第6章 罪と罰

マスコミ的構図=基金が委託者であり被害者、AIJが受託者であり加害者
年金的真の構図=従業員が委託者であり真の被害者、基金はと運用会社はともに受託者

受託者責任=厚生年金基金連合会発行「受託者責任ハンドブック43項目」
厚生年金保険法→管理運用業務を怠った場合には、理事長は基金に対し連帯して損害賠償の責めに任ずる。
…民法の委任規定
…米国「従業員退職所得保障法」を参考

※運用に失敗したこと自体は(AIJ事件のように資産の大半を失っても)責任は問われない。損失結果だけでは責任とは無関係である。
しかし、問題は意思決定のプロセスである。
☆採用するにあたり、委託先の運用成績、哲学、体制等について徹底的に総合的に調査、分析、議論を深め決定したか
☆採用後のモニタリング、依頼通りの運用成績を確保出来ているか確認
これら運用管理の責任は厳然と存在している。


長野県建設業厚生年金基金への行政処分
●事務長の業務上横領疑惑24億円(社会保険事務所勤務後事務長に採用された、現在行方不明中)
●AIJ委託65億円消失
●未公開株投資50億円消失(理事会を経ず事務長が単独決済)
…金融庁は委託した信託銀行や投資顧問会社を十分注意、調査しなかったとして注意義務違反で行政処分。2012年10月16日
組織のガバナンス等機能不全=経費削減から常務理事空席だった。理事は素人で現場任せ。相互チェックが働かない環境にあった


最前線の投資先企業の実態を以下のシステムでどこまで正確に把握していたか?
代議員会→理事会→資産運用委員会→信託銀行・生保・投資顧問→ファンド業者→投資先

☆米国コンサルティング専門アクシア社のチェック(投資顧問社身体検査)項目

①バックグラウンド審査=学歴・職歴・資格・訴訟有無・懲罰犯罪歴有無・報道

②財務諸表・運用方針・運用内容・経費、報酬・監査報告・解約、特約条項等の書類審査

③資産保管会社・資産評価担当会社・監査法人・弁護士・取引先企業等の業者審査



第7章 前夜

2000年代初頭、厚生労働省内に基金による運用危機感から、「強制的代行返上」政策があった。当時60兆円程の資産規模だった厚生年金基金をいったん廃止し、代行資産を国に取り戻し、国の年金財政を好転させるためである。


第8章 真犯人


中小零細企業の従業員の老後生活保障のザイルは2度切られた…

老後の基礎的な生活を支える公的年金は厳しい状況下、公と私の年金を合わせ、老後所得の確保を保障するという国が定めた枠組みが崩れつつある。
税制適格退職年金制度は9万件を超える契約本数があり、加入者1,000万人を突破していた。
この制度を廃止したことで、約40%もの中小企業が他の制度に移行せず年金制度そのものを止めた。(年金受給権、財産権が奪われた事実)

今回の厚生年金基金制度の廃止方向は同じ過ちを犯すことになる。
更に中小企業従業員の老後生活は追い込まれることとなる。
英国やドイツでは少子化、高齢化、経済成長鈍化などの要因で日本同様公的年金のスリム化を進める中で、私的年金を充実させ、公的年金の劣化を積極的に補完していく国家ぐるみの老後戦略を展開している。

企業年金について日本では税制優遇一辺倒だが、トルコでは個人口座への補助金制度、スウェーデンやオランダでは義務化など様々な仕組みを工夫している。
日本でも所得代替率60%が望ましい水準と規程されているが、実はこの所得代替率の年金受給額は、厚生老齢年金本体と厚生年金基金の合計額としている。

厚生年金基金の廃止方向の議論と同時に「老後所得の保障システムの維持」についてこそ最重要な国家的命題として国会、社会保障審議会で論議され実行されなければならない。


1949年 ヘッジファンド誕生  株式相場変動リスクを個別銘柄価格上下動でヘッジ(回避)し、絶対利益を確保する手法。アルフレッド・ジョンーズがロング・ショート戦略を編み出した。


番外  ブログ氏追加編

事件を時系列に見てみよう。

1962年 税制適格退職年金制度発足

1966年 昭和41年  厚生年金基金制度発足


1975年 淺川和彦野村證券入社
1981   レーガノミックス発表  株価は2.5倍に
1987年 「年金情報」発刊
1988年 シグナ社設立のちにAIJ買収
1991年   バブル崩壊
1994年 生命保険一般勘定見直し開始

1994年  浅川:ペイン・ウェバー証券に転職
1996年~2000年 淺川和彦一吉証券在籍
1996年11月 全茶連厚生年金基金解散
1997年 橋本内閣金融ビックバン、年金運用規制撤廃  5332規制の安全弁より金儲けへ
       北海道拓殖銀行破綻
1998年   日本長期信用銀行の破綻
       6月17日大阪地裁「日本紡績業厚生年金基金損害賠償判決」解散しなかったことで積み立て不足による損失に基金には不法行為責任問わず

1999年 早期健全化法により大手銀行など15行にk公的資金一斉注入 7.4兆円 

2000年12月淺川和彦エイアイエム・アセット・インベストメント設立
2000年 基金平均リスク資産割合62%に拡大
     米国ITバブル崩壊
2001年(平成13年)10月から「確定拠出年金法」の施行
     米国エンロン破綻
2002年(平成14年)4月から「確定給付企業年金法」施行
04年 AIJ投資顧問と社名変更
05年 日本証券業厚生年金基金解散
世の中には要領の良い方と悪い方がいる。
本書でブログ氏が一番衝撃を受けたのがこの事実
全国の基金が運用に四苦八苦しているのに、運用の本家本元は早くも悪天候を察知し逃げ出している!
見事な解散という思い切った店じまい。
果たせるかな翌年から運用環境は地獄と化し基金は断末魔を迎える


2007年 サブプライムローン金融危機
2008年9月10月  リーマンショック発生
2008年 米国マドフ事件  詐欺で逮捕
2008年11月 年金情報誌の人気度ランキングでAIJ第1位に
2009年2月 年金情報誌「消えない日本版マドフの影、金融庁も関t心」掲載
2011年8月 安愚楽牧場破綻事件発生  被害総額4,000億円
2012年3月  税制的確退職年金制度廃止
2012年4月 国会証人喚問

2012年10月16日 長野県建設業厚生年金基金連続資産消失で行政処分

2013年2月1日 社会保障審議会厚生年金基金制度改革に関する専門委員会において厚労省渡辺由美子企業年金国民年金基金課長゛厚生年金基金制度の廃止を再度の提起゛
委員会は同試行提案を妥当であるとした


2014年4月   厚生年金基金改革法施行予定
…施行日以降の新設は認めない
…施行日から5年間代行割れ基金は解散促す(約40%)
…5年以降は代行割れ予備軍基金は移行または解散促す(約50%)

…健全基金のみ存続出来る(約10%)



制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄

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