NHKラジオ放送「ビジネス展望」に異議あり遅れ過ぎ、新江の島水族館が泣きますよ

平成25年7月18日NHKラジオ放送「ビジネス展望」では改正PFI法について東洋大学教授から解説が放送されていた。
平成23年6月1日に、PFI法改正法が公布された。
本改正法により、賃貸住宅や船舶・航空機等がPFIの対象施設に追加されるとともに、 民間事業者による実施方針策定の提案制度、公共施設等運営権に係る制度が創設されるなど、PFI制度が大きく改正されることになります。
改正内容はおおむね3点
①PFIの対象施設の拡大
②民間事業者による提案制度の導入
③公共施設等運営権の導入

驚いたことに放送内容に「民間で運営」はまだ事例がない趣旨解説があった。
アナウンサーが相槌をうっていたが、とっくの昔からPFIは活用され、公共施設が民間で運営されている。

かの新江の島水族館が典型である。
参考までに、2008年8月8日発信ブログを再掲する。

新江ノ島水族館の開館したばかりの平成16年5月訪れて私は驚く。まるで七夕! 黒山の人だかり。水族館を取り巻く人々は江ノ島への橋も埋めてなかなか車も動けないほど!!何故?


神奈川新聞社発行 堀由紀子著 「水族館へようこそ」240ページ

第1章 恵まれた少女時代

父は財界政治部長の異名で呼ばれた藤井丙午氏。
元朝日新聞記者、昭和12年辞職し岐阜県から衆議院議員へ立候補。落選
日本製鉄の取締役会長に就任した平生元文部大臣の秘書として製鉄業界に身をおく。
生まれた由起子は戦争中丙午の実家のある岐阜に疎開。

終戦後丙午は新たに制定された参議院議員に当選。3年任期を終え八幡製鉄に。
…この辺は著者の生い立ちより財界政治部長の生き様に興味が湧く。
昭和25年 同社役員になった父の収入も増えたからか、由起子の周りの生活も一変。
父は三越で由起子の洋服を大量に購入。学校にきて行く洋服を赤とオレンジで固定され毎日が違うものを着せられた。気性の激しい父の趣味と学校から「他の子どものこともある」とのクレームの板ばさみ。まさに父の着せ替え人形だった。

由起子は成長し日本舞踊を習い、ヨガの教えも受ける。立教大学に入り安保闘争ではクラスで一人安保必要派。英会話ディベートではテーマに競輪必要論を論ず。その頃から父譲りの骨太さをお持ちだったのでしょう。そして映画会社日活堀久作社長御曹司雅彦との結婚。

第2章 波乱に満ちた人生のスタート

義父は日活映画黄金時代を築いた堀久作氏
結婚式は財界四天王小林中氏が仲人。式は日活ホテル。時の池田首相、後の総理大平正芳、佐藤栄作など政財界大物が多数出席。
披露宴は石原裕次郎、浜田光、小林旭など映画スターが大勢。日活の一員になった実感。
今度は日活堀久作氏の立志伝あり。

母子家庭に育てられた久作は苦学の末20歳の頃になると風呂釜の製造会社で売り上げを伸ばす力量発揮。松方乙彦の秘書に。山王ホテル社長を経て経営危機にあった日活再建を担う。そして戦後の日活映画黄金時代を築く。だが時代は変わる。
昭和44年頃になると映画は斜陽産業に。長い苦しい時代が始まる。
久作氏も入退院を繰り返す。夫雅彦が社長に。組合交渉がもつれ堀氏自宅も組合に占拠される事態に。父丙牛は再度参議院議員に立候補。由起子は応援演説。紙吹雪も舞う人気。
そして久作氏は74歳で永眠。遺書には「江ノ島水族館」を雅彦と由起子の当時8歳の長男一久に「贈与」とあった。

第3章 江ノ島水族館館長に。

堀久作氏と水族館…昭和27年湘南遊歩道路を走っていた久作氏は江ノ島辺りで休憩。絶景に心を奪われ、また江ノ島が海洋生物学発祥の地と知り、ここに水族館施設を提唱した。
29年に早くも2千平方メートル2階建ての水族館を開館させた。江ノ島には臨海実験場も設置。32年には鯨類のショーをお見せするマリンランドを開館。折からの湘南ブームにも乗り年間入場者200万人を記録、経営者として予見力と優れた経営手腕を発揮していた。

そして昭和49年11月、あの喧騒がうそのように静かな水族館になっていた。由起子は江ノ島水族館代表取締役に就任。
最初の仕事は従業員対策、組合のとの年末賞与団交だった。従業員60人。組合要求の2倍の賞与支給を1発回答しどきもを抜かさせた。賃金体系にもメスを入れる。
トップアカデミーコースでは経営トップのあり方考え方を学ぶ。答えは一つ「行動」だった。
挨拶運動、展示やサービス向上のプロジェクト方式を採用組織改革に乗り出す。海外の優秀な水族館を視察し学び、独自の発想で移動水族館も実現させた。

第4章 生き残りを模索

水族館はアートの世界を感じて、イルカショーに女性トレーナーを採用、クラゲを生育、昭和天皇は5回もご来訪。
時は経て、開館30年が経過、施設の老朽化は進み新水族館の建設が絶対必要となった。
折から神奈川県では湘南なぎさプランを構想。平塚市、茅ヶ崎市、藤沢市、大磯町が県と一体となり湘南海岸の再整備に取り組む。当初この構想では新水族館建設も目指す計画だった。しかしバブル崩壊でどこの自治体もお金はなかった。神奈川県も例外ではなかった。

平成9年、県は第三セクター方式での新江ノ島水族館建設を断念。
由起子は諦めずに水族館の現状を訴え新館の設置を強く要望し続けた。
そして平成12年神奈川県から朗報がもたらされた。

別章:ここで私の強く記憶の残る話を開陳。PFIの知恵

平塚市に勤務していた私は、バブル崩壊後まもなく県の職員からこういう話を聞いた。
「お金がない、しかし県民のニーズには応えなくてはならない。そこである手法を使う。
PFI方式という民間活力を導入する手法だ。今、県では3種のPFIを考えている。

①は施設をPFIで作る。これはお金を民間で出して建設。建設後県は借金を返していく。
お金がなくても建設が可能になる。②は施設を民間で作り、建設後の管理も民間でやる
実は①で県立栄養短大の建設、②で県立美術館建設を考えている。」私は初めて聞くPFI方式に驚きました。そんな手法を県が採用するとは。今は民間活力導入当たり前でしたが、当時は公共一点張りで民間とは隔絶し、考えられない手法でした。

だからPFIの結果が気になり②で建設された県立美術館にはさっそく見学に行きました。
逗子の海岸沿い、素敵な品々のミュージアムショップや人気のレストランなど民間導入らしい開放的な明るい美樹館に感心しました。

さて県の職員は続けて力を込めて言いました。「③の方式は施設も管理も民間にお願いし更にその後の運営も民間でやるんです。」「えーそれでは県は」「県は土地の提供だけ、占用料をいただくだけだ、それで県民のニーズにも応えられるし、お金の心配もない」実はこの方式で江ノ島新水族館を建設する考えです。私は絶句しました。ここまで県が考えている。

③の手法で完成した新江ノ島水族館はえらく人気だった。もちろんさっそく見学を目論んだが、なんと江の島に近づくと国道134号線歩道は黒山の人、江の島への橋も車が通れないほど。
水族館周辺は人人。まるで七夕であった。この日はあきらめ、後日家族でゆっくりお魚を拝見した。民間活力のすごさには驚くばかり、また民間活力を県のピンチに導入した県の知恵にも感心したし、期待に応えた新江ノ島水族館スタッフにはもっと強く関心を持ったのでした。

第5章 新江ノ島水族館誕生

平成16年4月16日 オープン。PFIには人脈を駆使しオリックスにも参加いただく。
相模湾の魚を集めた大水槽。相模湾の特色、深海魚コーナー。子どもたちへのユニークなプレゼントがナイトツアー夜のお魚探検隊。
館だけでなく周辺地域と一体化した観光作戦。集客増に知恵、工夫を絞っている。
最近の動物園での行動展示、水族館での生態展示が評判だが、著者はそれにもまして人間による自然破壊、地球温暖化など心配する人々の関心が動物園、水族館に人を呼んでいると言う。今後も社会教育、自然教育に力を入れたいと語る著者堀由起子氏の長い社会貢献活動に対して内閣総理大臣賞が授与され、ユネスコ国内委員にも就任した。
…新水族館は平成19年6月入場者500万人を達成した…

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