「引っ込んでろ ばか息子」朋乃が初めて怒鳴った…江戸の町に生きる娘のたまゆらの物語

「引っ込んでろ ばか息子」朋乃が初めて怒鳴った。

座敷の全員が意気を詰めて朋乃を見た。

「どうせこの50両は、あんたと拓二郎とがつるんでお店からくすねようとしたカネだろうが、お天道さんは見逃すことはしないよ」

文句があるならお奉行所にでもどこにでも訴えでればいい、朋乃に啖呵をきられ正悟は、青ざめた顔で座布団に腰を落とした。
男たちからは、ひと声も出なかった。

正悟は座布団から落ちそうなほど身を乗り出して、口を尖らして「だからと言ってこの50両をあんたのおカネにするなど、まったくの了見違いじゃないか」と言ったばかりだった。
朋乃が「拾ったわたしが頂きます」こう言い切ったのは、朋乃が思いついた財布騒動の解決策だったのだ。

潮出版発行 山本一力著「たまゆらに」333ページ


文化3年(1806)5月27日江戸の明け6ッ(午前6時)
海辺橋の真ん中で朋乃は財布を拾った


番小屋に届け出る。
1年間持ち主が現れ出ないときは届出人に下げ渡される。
届け出るとあれこれ細かいことを詮議される。

道端に落ちていた財布は拾わないのが要領だったが、しかし正直者は、届け出るしかない。
番小屋で目明しの五作が財布を開けた。

50両入っていた。


五作の眼に色が変り「動くな」「もういっぺん話しを聞こう」
財布には小判で50両の他書付があった。

「日本橋室町 堀塚屋庄八郎商店」

朋乃は息を詰まらせた。
母静江が無念の離縁をされるまで朋乃は日本橋室町 堀塚屋庄八郎商店の跡取り娘だった。

主人の庄八郎は妾に男の子が生まれると静江と朋乃を追い出し、妾のおさきと息子正悟が代わりに入ってしまった。
大内儀の宇乃は後に「あの人(静江)を堀塚屋から出て行かせることに手を貸したのは私の一生の不覚でした」と何度も言った。直截な言葉で誠実で堅実な生き方の静江を称え、自分の不明を恥じた。

9代目を引き連れて乗り込んできた女がどれほどひどかろうか。いかに堀塚屋を引っかき回そうが、それは堀塚屋が受けて立たねばならぬ事柄だった。

明け8ッ、室町堀塚屋庄八郎商店売り場奥の8畳に「五作、鉄蔵、朋乃」の3人は案内された。
正悟は苦しげな口調で言い放った
「いつまで同じこと聞くのか、知らないと言ったら知りません」


開き直ったような顔つきで「話の元は、その担ぎ売りの女をきつく詮議するのが先だろう、話のもとに大きな嘘があるんでしょうよ」と正悟は続けた。

五作が小声だが凄みを利かせた。
「おめえは言いてえ放題をわめいているが、この姉さんに見覚えはねえのか?」
「この人は、おめえの実の姉さんだよ」
小声が、正悟の胸元に突き刺さった。


朋乃は一つの思案を五作と鉄蔵に打ち明けた
「そりゃ大した趣向だ」「おもしれえ」

日本橋堀塚屋が打ち上げ花火を寄進した…

瓦版はたちまち売り切れた
鍵屋は他の花火職人の手を借りて特製の花火20発の大仕事となった。

朋乃は力を蓄えるには熱と凍の両方を併せ持つことが必要と学んだ。
それでこそ物事は上手くなめらかに運ぶ。
不心得者もいる、しかし大部分の者は懸命に働いており、それで堀塚屋も持っている。
あえて不祥事に目をつぶることでお店の安泰を保つことが出来れば…
道理を知っていた朋乃はそう判じて50両を受け取った。


大川の上で大輪の花火、打ち上げにかかった費用は50両。
「いいぞう堀塚屋あああ――」  見物人の大歓声が上がりゆらゆらと揺れ続けた。

文化3年(1806)5月27日、この日だけが舞台の江戸の町の物語
たまゆら(玉響)は、勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと。転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」
「たまゆらに…人生一瞬間にいかに多くの思いが、物語が詰まっているか…山本一力のいつもながらのストーリー展開と人情話に見せられる好著であった。


制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄

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