農林共済の勝手きまま史とそれを支える国会農林族議員のすご腕力…割を食ったのは厚生年金保険

講談社発行 岩瀬達哉著「年金大崩壊」357ページ

農林関係は最初厚生年金保険に加入していた…しかし  

昭和34年(1959年)1月
農林関係は厚生年金保険を脱退し、独自に農林漁業団体共済組合として分離:独立 組合員約48万


何故

元厚生省事務次官曽根田郁夫談

「厚生年金保険のレベルは低いからもっと高い共済にしたいということ。
役場の隣に農協はある、だから農業は民間とかでなく共済だという破天荒な論理
どうせすぐ戻ってくるよと仲間と言い合ったものです」


厚生年金から30億円の積立金を自分達の分だと持ち出し出て行った。
このお金が加入員の将来の年金に使われるならまだ許せたが、なんと東京農林年金会館虎ノ門パストラルに化けてしまう。
安全且つ有利に運用して会員の将来に貢献して欲しかった。

この時点で農林の共済は破綻するのは明らかだった。
統計上農林人口は激減していた。
農村から都市への人口流失も止まらない状況だった。
農林単独でやっていけるはずのない自明の理だった。
しかし自民党はじめ野党含めての農林族議員の腕力が厚生省を襲う。

こうして農林共済の浅はかで愚かしい分離独立は認められた。
農林族の先生方は本来天下国家、大所高所に立って国民の信託に応えなくてはならない。
然し事実は、彼らは自分の票、選挙しか頭にないことだった。

社会保障制度審議会も17名の委員の中、厚生関係はたったの5名だった。
農林の厚生年金脱退、共済加入はこうして実現した。
高度経済成長期のいい時は好き勝手し放題。
苦しくなったら助けてくださいというストーリー。

衣替えのメリット例

厚生年金保険は満60歳からの支給だったが、共済年金だったら、55歳から受給出来るなど欲張ったもの。


破綻…やはり大方の予想通り

高度成長期が終焉し、農林共済は、厚生年金保険に統合しなければ、多くの農林業従事者の年金給付に支障が生じるが故に、またまた統合の必要性が主張された。


2000年11月9日 公的年金制度の一元化に関する懇談会開催
厚生年金側委員談

「一元化と言っても、農林共済が破綻したから厚生年金で引き取れという話。
私たち厚生年金は厚生年金だけでやって行きます。
助け合いの精神と言うのなら、同じ共済仲間の、国家公務員共済に農林共済を一元化させるのが最初でしょう。その上で共済と厚生年金を統合して行く順だろう。
国鉄もそうだったが、破綻共済年金の受け皿にいつまでたっても厚生年金は使われるだけだ。
いい時は勝手なこと言って困ったら何とか助けてくれと言う。
それなら全部一緒にしましょうよ。損も得もないから」


この少数意見は多数の官僚側委員に受け止められることもなく、真摯な議論もなく農林共済の厚生年金入りが認められ、懇談会から統合承認の報告書が提出された。

国会では多数の農林族議員が票目当てに国会での法律化に牽引車となるのに邁進した。
他の多くの議員も傍観者であり、勉強不足から議論もそこそこに原案通り決して行った。

平成14年4月1日に厚生年金保険へ統合された。


財政上のメリットの他…

例えば、共済の組合員は満70歳以上でも組合員だったが、厚生年金保険では満70歳まで。
それ以降は組合員でなくなった。保険料支払いがなくなった。
農林共済では4時間の短時間勤務者も組合員だったが、厚生年金保険では加入する必要がなくなった。保険料を納めなくて良くなった。

農林漁業団体職員共済組合法の内容について

農林漁業団体職員共済組合は、次に掲げる法律又は法律の規定に基づき設立された法人(以下「農林漁業団体」という。)の職員の相互扶助事業を行い、その福利厚生を図り、もつて農林漁業団体の事業の円滑な運営に資することを目的とするとして制定された法律である。
平成13年7月4日をもって廃止。


農林漁業団体職員共済組合


設立年月日 昭和34年1月1日

農林年金はより手厚い年金を支給するために厚生年金から独立していった共済組合であり、加入者の減少などで財政が悪化したとはいえ手厚い年金給付は維持したい思惑があり、できるだけ現在の積立金を旧農林年金加入者の3階部分の年金原資に残したい農林年金と厚生年金との間で移管金の金額をめぐって話し合いが難航していたのでした。

結局、当初厚生年金が要求していた金額よりは少ない1兆6000億円の移管金と、厚生年金の保険料よりも上乗せした保険料を旧農林年金の加入者が平成20年9月分まで払うことで現時点で1600億円上乗せする1兆7600億円で決着したのです。


歴史は語る…国鉄共済も同じ手法だった。


国鉄共済は、最も高額の年金を支給している制度として知られていた。
財政的裏付けのないまま制度運営がなされていた。
1982年事実上破綻。
毎年3,000億円の収支不足が見込まれた。
昭和62年には積立金も消滅する惨憺たる状況だった。
これを放置すれば年金制度の信頼性を失う。

救済案として1982年4月国家公務員共済との統合がなされることとなる。
受け皿となる国家公務員共済側は自分達で巨額債務を押し付けられれば、自分達の将来の年金給付に影響がある。
国鉄共済の財務状況は想像以上悪かったことも恐怖を生んだ。

思案のしどころ。

そうだ1987年には国鉄は民営化される。
国家公務員共済からはずし、厚生年金保険に引き取らせよう。
同じ民間だし、抵抗は少ないだろう。
世論形成には「官民格差是正」をアピール。
日頃から手なずけていた記者クラブを使いムードを盛り上げた。
全ての公的年金制度が一元化されると…
1996年3月8日、国鉄共済と厚生年金保険との統合を閣議決定。

国鉄共済は救われた。厚生年金保険に負担と犠牲を押し付けることで…。
その後一元化の動きはピタリと消える。

同じ手法で電電公社、タバコ専売公社等公共企業体年金が救済される。
皆落ち着いた。
尻に火が付いてからことを納めるのも皆同じだった。
要は霞ヶ関は公的年金の将来像など真剣に考えていなかった訳だ。
更に2004年の年金法改正時、加入しなければならないのに加入しないでいた国会議員は100名に上った。
当時の未納3兄弟は、今や副総理と幹事長になった。

旧三公社共済組合(JR、JT、NTT)が厚生年金保険に統合されたのは、平成9年4月1日

昭和31年7月以降の期間は厚生年金保険の期間となり、その期間の年金支給は社会保険庁が行う。それ以前の期間は国家公務員共済が年金支給を行うこととした。


虎ノ門パストラルホテル


(港区虎ノ門4)は9月30日で営業を終了し、41年の歴史に幕を閉じる。

 営業終了は、同ホテルの森トラストグループ(港区虎ノ門2)への売却によるもの。
2007年9月の売却成立時に、その後2年間運営を続けることになっていたが、今月その期限を迎えた。

 1968(昭和43)年に「東京農林年金会館」として現在の本館でスタートした同ホテルは、新館の竣工に伴い1984(昭和59)年、「虎ノ門パストラル」として新たなスタートを切った。

 昨年度末までの利用者合計数は441万3,038人。
霞が関にほど近い土地柄、官公庁や国会関係者、政治家などの会議や宴会場として活用されることも多く、歴代の首相も訪れたという。
また、結婚式場としての人気も高く、1986(昭和61)年には年間婚礼組数3,030組で日本一の記録を達成した。



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