格差を直撃した東日本大震災…女性:子ども:高齢者等の弱者から犠牲になる悲劇が繰り返された…

大震災は格差を直撃した…弱い立場の子ども、高齢者、女性がまず犠牲に…

当ブログでは災害は格差を直撃すると平成20年3月16日に発信していたが、今回の東日本大震災でもこの災害は格差を直撃するが実証されてしまった。

子ども…

石巻市立大川小学校

石巻市立大川小は東北最大の大河、北上川右岸の石巻市釜谷地区にあり、 太平洋に北上川が注ぐ追波湾の河口から4キロ上流に位置する。  
18日は卒業式も予定されていた、この小学校を巨大津波(海襲)が襲った。
大川小児童56人が死亡、18人が行方不明。となった。
全校生徒数108人だから約7割の子どもが犠牲になった。
また教諭については当時、校内にいた11人のうち9人が死亡、1人が行方不明になった。お勤めしていた教職員は13名だった。こちらは約8割。  

当時の状況…

午後2時49分 巨大地震直後に大津波警報が出た。教諭らは校庭で対応を検討。  
  校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。
学校南側の裏山は急斜面で足場が悪い。  
  そうした状況から、約200メートル西側にある新北上大橋のたもとを目指すことになった。  
  そこは周囲の堤防より小高くなっていた。市の防災マニュアルは、津波対策を「高台に上る」とだけ記しており、 具体的な避難場所の選択は各校に委ねられていた

午後3時10分過ぎ

現場に居合わせた男性(70)は、児童らが列を作って校庭から歩き出すのを目撃した。  
  「教諭に先導され、おびえた様子で目の前を通り過ぎた」  
  その直後だった。「ゴーッ」とすさまじい音がした。男性は児童らとは逆方向に走り出した。  
  堤防を乗り越えて北上川からあふれ出した巨大な波が、学校を含む地区全体に襲いかかった。  
  住民や男性の証言を総合すると、津波は児童の列を前方からのみ込んでいったという。  
  列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて男性と同様に裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。  
   宮城県沖で二つの断層が連動した地震が発生した場合を想定した津波浸水予測によると、  
  河口付近の高さ5~10メートルに対し、小学校周辺は1メートル未満。  
  だが、今回の津波は2階建ての同校校舎の屋根まで乗り越え、裏山のふもとから約10メートルも駆け上がった。  
  また児童らが避難しようとした新北上大橋のたもとでも、電柱や街灯がなぎ倒されるなど津波の被害を受けた

考えられた防災対応=裏山への避難誘導と避難路の整備=

防災マニュアルには高台等高いところに逃げるとは記載されていた。
実際足場が悪く登るに危険も伴う裏山に逃げた教師や生徒は助かっている。
海から5キロ離れていても北上川は津波では海そのものであり海に面していた訳である。
高いところは裏山しかない。ここへの避難を日頃訓練し、行政や父兄は近隣と協力し避難路の整備を進めておくべきだった。
未来ある子ども達7割が犠牲になった。
弱い者は最初に犠牲になる実証した。


最も弱い幼児が自然災害と人災で犠牲に…

宮城県石巻市日和山:平成23年3月11日
標高56.4メートル。
旧北上川の西岸、石巻の町の歴史的中心の至近にある。
平安時代に遡る鹿島御児神社が鎮座する。
この山の中腹にある私立日和山幼稚園。
地震発生から15分後午後3時頃園児達12人を乗せた送迎バスが安全な高台から危険な海方向に出発した。

バスは程なく山に向かい避難する車の渋滞に巻き込まれる。
巨大津波=海襲=に襲われた。
園児5人が遺体で見つかった。女児4人と男児1人。

他の子7人は途中避難して上ってきた父母に渡されこの子達は高台に逃げ無事だった。
安全な高台からわざわざ津波が来ることが予想され危険な海のある平地方面に何故子供たちを乗せ出発したのか。
運転手は津波に呑み込まれながらもからくも助かった。「津波も怖かったが先生の指示があり出発した」と語った。
当時の責任者前園長は「子供たちを早く帰したかった」と弁護士を通して答えた。
園の防災マニュアルには「非常時に際し、園児は保護者のお迎えが来たら引き渡す」とあった。

防災マニュアルすら守られず、危機管理上極めて危険な処置を園がとったものである。
こうして自然災害と人災により弱い立場の幼児5人が犠牲となった。
弱い者が最初の犠牲になる大災害の格差直撃がここでも悲しいかな実証されたのだ。



高齢者…


平成23年4月19日朝日新聞1面 震災関連死あいつぐ

中略 気仙沼市の中学校体育館に避難生活を送っていた80歳以上の10人が亡くなった。

陸前高田市では介護施設入所者が避難先で15名亡くなった。

福島県では原発事故避難指示を受け、移送中や移送先でお年寄り18名が亡くなった。

巨大津波から逃げ延び、岩山で寒い夜を過ごし、ヘリで救助された84歳の女性が20日後避難先で息絶えた。1日3回飲んでいた糖尿病の薬も入手出来ずの病死だった。
息子さんは「津波から母親を担いで逃げ延び、寒さを凌ぐため必死でシートに包めたのに…病気ではなく津波にやられたんだ…」と無念の思いを語った。

宮城県の入所型老人福祉施設

38施設が全壊などで使用不能に。
これらの施設に入所されていた高齢者は1170人、震災で死亡又は行方不明は296名に上る。
ほぼ4分の1の方々が犠牲になった。

避難しても今までのような十分な介護は受けられない。
地震や津波の恐怖が収まっても、介護の条件は急速に悪化し徐々に次の震災関連災害が襲って来つつある。


釜石市鵜住居地区防災センターの高齢者悲劇

大津波警報発令により鵜住居地区防災センターには200人が緊急避難して来た。
8日前の岩手県一斉津波訓練の際は100人が参加しここで避難訓練を受けた。
3:11 実際の避難は倍の人数となった。
しかし海から1,5キロ離れているが平地にある防災センターは直後に巨大津波=海襲に飲み込まれる。
ここだけで60人の遺体が見つかった。
その60%、32人は65歳以上の高齢者だった。
市から示されていた指定避難所は600m程離れた高台にある鵜住神社だった。
高齢者にとって高台の神社まで登るのは難儀だった。
訓練に使用された行きやすい平地の防災センターに緊急時でも自然に避難してしまったのだ。
訓練通り逃げ、訓練通り避難し訓練にない大悲劇に遭遇した。
避難訓練の意義の一つは避難所を覚えてもらうことにあるのだが‥


女性…

平成23年4月15日神奈川新聞21面の「震災関連死…避難後19人死亡」記事を見ると驚くことに死亡したほとんどが女性であった。

共同通信社が各地方自治体へ行った調査で大震災に被災され県外に避難して亡くなった方が19人に達したことが分かった。
群馬県では…福島県相馬市から受け入れた避難者で、80歳代女性1名と90歳代女性1名が今月上旬亡くなった。心臓病悪化と肺炎が原因。
千葉県では…宮城県汽仙沼市から受け入れるべく避難搬送中の70歳代女性が死亡。
山梨県では…南相馬市から受け入れた100歳代女性が3月25日死亡
新潟県では…福島県富岡町から避難された痴呆症のある60歳代女性が村道で凍死。
県外に避難した後どういう状況かはほとんどの自治体で追いきれないていない実状とのこと。

世界一長寿の日本女性、東北でも高齢者としての男女比は圧倒的に女性が多い。
しかしこれは経済:衛生:治安等生活状況が整い安定した環境下でのこと。
震災に遭遇し、治安も、衛生も、経済も、精神的にも肉体的にも劣悪な状況に一気に追い込まれると女性本来の弱さが出る。高齢者も。子どもも同様である。

富める者も、富める国も、貧しい者も、貧しい国も平等に自然災害は襲う。
しかし間違いなくその後の避難:復興に対しては、極端に格差が直撃される。

弱い者、貧しい国は徹底的に痛めつけられる。

それが大災害の真相だ。
治世者はこのことを肝に銘ずべきである。

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