18mの巨大な津波が昭和35年(1960)に発生している。想定された想定外

18メートルの津波襲来

昭和35年(1960年)チリ沿岸部は高さ18メートルの津波に襲われた。

原因はマグニチュード9.5の巨大地震

1960年5月23日4時11分(日本時間)、南米・チリ共和国でマグニチュード9.5という世界最大規模の地震が発生。
この地震直前にM7~7.5の前震と思われる地震が5~6回続き、その後本震が発生した。

この地震により首都サンティアゴ・デ・チレ(Santiago de Chile)、をはじめ、チリ全土で死者1,743名、負傷者667名の大きな被害。全土が壊滅状態になった。
震源地はチリ南西沖バルディビア近海で、震源の深さ約33Km。
太平洋側のナスカプレートが南米プレートにもぐりこんでいる境界で発生したプレート境界型地震でした。

断層の長さは約800Km、断層のずれは約20mといわれる巨大な海底変動により地震発生15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲った。
地震によりアタカマ海溝が盛り上がり、海岸沿いの山脈が2.7m沈み込むという大規模な地殻変動も確認された。

約17時間後にはハワイ諸島ハワイ・ヒロ市では約10.7mの津波が押し寄せた。
22.5時間後に日本を襲った。

日本でも北海道から沖縄までの広い範囲で2~6mの津波に襲われ多くの犠牲者を出すことになった。
チリは約17,500キロメートル離れているが、津波は平均時速約777Kmのスピードで太平洋を渡ってきた。


主な被害


 チリ地震津波で日本の死者行方不明142名、負傷者855名、建物被害46,000棟、罹災者147,898名、罹災世帯31,120世帯、船舶被害2,428隻、木材流失19,290?、道路損壊45箇所、橋梁流失14箇所、堤防決壊34箇所などのほか、養殖、定置網などさまざま地域で大きな被害を出しました。

特に被害が大きかった岩手県大船渡市では53名、宮城県志津川町(現南三陸町)では41名、北海道浜中町霧多布では11名が死亡。浜中町では1952年の十勝沖地震でも津波被害を受けており、2度にわたって市街地は壊滅的な被害を受けた。
街の中心でもある霧多布村はこの津波により土砂が流出し、北海道本島より切り離され島と化した。現在は陸続きだった所に2つ橋が架けられており、本島と行き来が出来る。1つは耐震橋、もう1つは予備橋で橋が津波で流出する恐れがあるためと避難経路を2路確保するためである。

また、同じく度重なる津波被害を受けた田老町(現宮古市)では高さ10mの巨大防潮堤が功を奏して人的被害は皆無であった。
この田老町の防災の取り組みを取り入れ浜中町に防潮堤が建設される。
北海道の防潮堤については後の北海道南西沖地震でも津波による人的被害の甚大な奥尻島などでも建設された。


岩手県宮古市田老町

津波太郎と言われるほど津波の被害に度々襲われる町でもある。
明治29年1859人が津波により死亡。
昭和8年の津波では911名の死者を出した。

田老町の採った防衛策

全長1,350m、高さ海面から10m、幅3mの大防潮堤を昭和8年から昭和33年までの完成させた。そして完成直後の昭和35年チリ地震大津波を迎えた。
しかし被害はほとんど発生しなかった。
大防潮堤以外でも、津波避難道路、防潮林、避難所など設置し、昭和8年3月3日に発生したことから毎年3月3日を津波の日と記念し津波訓練を行っている。
これら一連の動きを作家吉村昭氏は「三陸海岸大津波」に著す。

明治29年の大津波

明治三陸地震(めいじさんりくじしん)は、1896年(明治29年)6月15日午後7時32分30秒に発生した、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖200km(北緯39.5度、東経144度)を震源とする地震。M8.2~8.5という巨大地震であった。
地震後の津波が本州観測史上最高の波高38.2mを記録するなど津波被害が甚大だったこと、および、この津波を機に、明治初年にその名称が成立したあとも、行政地名として使われるのみで一般にはほとんど使われていなかった「三陸」という地名が知られるようになり、また「三陸海岸」という名称が生まれた[1]ことで知られる。

大津波の第一波は、地震発生から約30分後の午後8時2分に記録されている。
到達した範囲は北海道から宮城県にわたった。
波高は、北海道の襟裳岬では4m、青森県三戸郡八戸町近辺(現・八戸市)で3m、宮城県牡鹿郡女川村(現・女川町)で3.1mであったが、岩手県の三陸海岸では下閉伊郡田老村(現・宮古市)で14.6m、同郡船越村(現・山田町)で10.5m、同郡重茂村(現・宮古市)で18.9m、上閉伊郡釜石町(現・釜石市)で8.2m、気仙郡吉浜村(現・大船渡市)で22.4m、同郡綾里村(同)で21.9mと軒並み10mを超える高さを記録している。 

特に綾里湾の奥では入り組んだ谷状の部分を遡上して、日本の本州で観測された津波では最も高い波高38.2mを記録した[2]。


昭和8年の大津波



本震
発生日 1933年(昭和8年)3月3日

発生時刻 2:30:48
震源の深さ km
規模
マグニチュード(M)8.1
最大震度
震度5:
津波
岩手県気仙郡三陸町(現・大船渡市):28.7 m

被害
死傷者数 死者1522名
行方不明者1542名
負傷者1万2053名、
昭和三陸地震(しょうわさんりくじしん)は、1933年(昭和8年)3月3日午前2時30分48秒に、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200 km(北緯39度7.7分、東経144度7分)を震源として発生した地震。M8.1。アメリカ地質調査所 (USGS) の推測はMw8.4。

三陸海岸は軒並み震度5の強い揺れを記録したが、明治三陸地震の時と同じく地震による被害は少なかった。
地震後に襲来した津波による被害が甚大であった。
最大波高は岩手県気仙郡三陸町(現・大船渡市)綾里で 28.7 m を記録した。
この地震による被害は、死者1522名、行方不明者1542名、負傷者1万2053名、家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸に及んだ。

特に被害が激しかったのは、岩手県の下閉伊郡田老村(現・宮古市)で、人口の42%に当たる763人が亡くなり(当時の村内の人口は1798人)、家屋も98%に当たる358戸が全壊した。津波が襲来した後の田老村は、家がほとんどない更地同然の姿となっていた。
これを教訓に、田老には1982年(昭和57年)までに高さ 10 m 、総延長 2433 m の巨大な防潮堤が築かれた。1958年(昭和33年)に完成した1期工事の防潮堤は、1960年5月23日に発生・来襲したチリ地震津波の被害を最小限に食い止める事に成功した。これにより、田老の巨大防潮堤は全世界に知れ渡った。
この巨大防潮堤は、昭和三陸地震の大津波によって更地同然の姿になった田老町の防災の象徴となっていた。

平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震により襲った大津波は高さ10mの防潮堤(海面からの高さ)を軽々と越え、防護区域内の町の殆ど全ての家屋が壊滅した

海寄りの防潮堤は約500メートルにわたって倒壊し、所々にコンクリートの残骸が転がっていた。
隣近所の多数の知人が行方不明になったという男性(45)は「津波の前では、頼みの防潮堤がおもちゃのように見えた。こんな津波を経験して、このまま田老で暮らせるのかどうか分からない」と泣きながら話した。

 今後の津波対策をどうするのか。漁師の川戸治男さん(69)は「漁師なら海の近くに住みたいと考えるだろうが、やはり高台の方に移住すべきではないか」と話す。

 宮古市は津波防災都市を宣言している。
地域振興課長の鳥居利夫さん(59)は「防潮堤は、これまで経験した大津波を想定して整備された。だが、今回は想定外だった。今後、どう津波対策を立てるのか。今のところ思いつかない」と肩を落とす。


昭和35年の大津波


1960年5月22日のヴァルディヴィアを中心とした南部を襲った大地震は(日本では一般にこれを「チリ地震」と呼称しているけれど)、近代の地震観測史上最大の地震といわれる。マグニチュード(M)8.5(モーメント・マグニチュードは9.5)、断層の長さ800km、幅200km、変位量24mという。ここ半世紀に地球が放出した地震エネルギー全体の約4分の1を、このヴァルディヴィア地震が占めているらしい。比較すると、次の表のようになる。関東大震災や阪神淡路大震災よりはるかに強烈なのがわかる。

津波災害防衛の啓発

チリ震津波災害でもっとも被害が大きかったのは宮城、岩手の両県で、中でも塩釜から宮古までの湾に面した「三陸浜街道」というエリアが被害の中心でした。
あれから50年、この地域におけるチリ地震の記憶と防災対策や防災意識について今どうなっているのか、2009年12月8日~10日まで、塩釜から宮古まで回ってみることにしました。

津波を経験した60歳以上の人たちはその恐ろしさを昨日の出来事のように話してくれましたが、50歳未満の人たちの意識は当然ながら希薄でした。
また、海岸近くに住む人たちには地震・津波に対する一種の緊張感を感じましたが、山側や内陸部に住む人たちの多くは親戚や知人が過去に犠牲になった記憶はあっても、防災対策への関心は薄いように見受けられました。
このところの合併、財政危機などの影響もあって、一部の地域を除き防災・危機意識は全体に風化しつつあるように思われました。


★津波災害に偏る対策だけでは危険


 この地域では地震イコール津波と考えられるほど、過去の大規模災害の多くは津波によるものでした。ですから、行政における防災・危機管理対策が津波対策に力を入れることは間違いではないと思います。
しかし、5年前のインドネシア・スマトラ沖地震で津波災害に襲われた地区が、2009年9月30日のスマトラ沖地震では津波はほとんど発生せず、海岸だけでなく内陸部も地震の揺れによる震害によって、多くの建物が損壊し大規模な土砂崩れがが発生しました。現地の被災者は「この地域は津波が々襲った地域だったから、地震対策は海岸周辺の人たちが津波だけの対策をすればよいと思っていたが、とんでもない間違いだった」と証言しています。
 もちろん津波対策も重要ですが、海岸周辺だけでなく内陸部も含め津波だけでなく建物・室内の耐震化、地震に備えた急傾斜地対策なども必要です。そして、なにより重要なのは、住民への意識啓発です。堤防を高くするだけでなく、一人ひとりの心の堤防を高して「防災民度向上」にコストとエネルギーを集約することが大切です。


歴史も物語る津波=海襲=の恐怖

貞観の海襲…

平安時代の歴史書「三代実録」には、宮城県・仙台平野を襲った大津波の記述がある。
869(貞観11)年の貞観津波だ。東北大学や産業技術総合研究所(産総研)の調査研究で、仙台平野の内陸部に達する巨大津波は、約1000年ごとに起きていることが分かった。貞観津波からはすでに1100年以上が経過しており、巨大津波を想定した地震対策が求められる。(中本哲也)

 
 三代実録には、貞観津波による被害の様子が詳しく記されている。

 大きな揺れと発光現象。
人々は立つこともできずに叫び、城郭や倉庫の崩落、倒壊は数知れず。
城下を襲った津波で原野と道路が海のようになり、溺死者は約1000人に達した-と被害のすさまじさを物語る。

 仙台市若林区の陸上自衛隊霞目駐屯地のすぐ近くには「浪分神社」という小さな神社がある。
東北大学理学研究科博士研究員の菅原大助さんによると、貞観津波の直後に建てられた神社で、現在の海岸線から約5キロ離れたこの付近まで、津波が到達したと伝えられる。

 菅原さんらは、浪分神社から海岸寄りの水田地帯で地質調査を行い、津波堆積(たいせき)物の分布を調べた。その結果、915年の十和田湖噴火で積もった火山灰の直下に、貞観津波で海から運ばれた砂の層が確認された。津波堆積物の到達ラインは現在の海岸線から約3キロ。津波は、当時の海岸線から少なくとも2・5キロは内陸に遡上したと推定される。

 ≪波高10メートル≫
 地質調査などに基づき、東北大災害制御研究センターの今村文彦教授らはコンピューターによるシミュレーションで貞観津波を再現した。

 海岸線での津波の高さは高い所で10メートルを超える。菅原さんは「三陸のように複雑に入り組んだ海岸線でなくても、大規模な津波は起きる」と警鐘を鳴らす。

 産総研でも、仙台平野と石巻平野で東北大と同様の津波堆積物調査を行った。
貞観津波の実態解明と、それ以前の津波履歴を探るためだ。東北大の調査では、貞観より古い(深い)地層に2層の津波堆積物があった。
産総研でも3~4層の津波の痕跡を見つけており、いずれも「およそ1000年間隔で、貞観タイプの巨大津波が発生した」と結論づけた。

 発生周期からは、貞観以来となる仙台平野の巨大津波は「いつ起きてもおかしくない状況」にあると考えられる



">…高さ5、6mと想定し津波対策をとっていた。しかし想定外の14mの津波に襲われた。
自然災害とはいえ福島県民はじめ国民の皆様に多大なご迷惑をかけ申し訳ない。span>東京電力…


チリ地震で18mの津波が発生していた。何故三陸沖で同じ規模の巨大地震が発生し10mを超える巨大津波が襲うことを想定しなかったのか。
ローカルな一小町でさえ10mの防潮堤を設置したのに。
海辺の原子力発電所が余りに安易な津波対策をとり続けていたと言わざるを得ない。
会社だけでなく国や政権与党、県、地元そしてジャーナリズム全てに責任がある。


当時の国会でも…無視された巨大津波の警告

2006年3月1日、吉井英勝(京都大学原子核工学科卒業、日本共産党)は、国会質問で当時の経済産業大臣の二階俊博(自由民主党)に対して、福島第一原子力発電所を含む43基の原子力発電所における津波対策の不備を指摘し、冷却水喪失による炉心溶融の危険性を警告した。

このとき二階は吉井に対策を約束したが、実際には改善を行わなかった。吉井は同年12月13日にも、「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を内閣に提出し、原発の安全対策の不備に注意を喚起したが、

時の内閣総理大臣安倍晋三は、「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない」と退けた。



行政の審議会でも無視された巨大津波の警告…
「869年の貞観の地震は、津波に関しては非常にでかいものが来ている。全く触れられていないのは納得できない」。
2009年6月、経済産業省で開かれた審議会の席上、独立行政法人産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の
岡村行信活断層・地震研究センター長は、東電の報告に厳しい言葉で異議を唱えた。

 06年に改定された国の原発耐震指針に沿って東電は08~09年、福島第1原発の再評価結果を国に提出。
海と陸のプレート間で起きるM7・9の地震などを想定したが、近年の研究でM8以上とされた貞観地震については、
特別な考慮をしなかった。従来、最大5・7メートルと見積もってきた津波の再評価は先送りされた。

 岡村さんの追及に対し、東電は学会で提案されている震源モデルを基にして、原発への影響は「想定の範囲内」と主張。
「貞観地震については、まだ情報を収集する必要がある」として事実上、評価を棚上げした。

環太平洋地震帯:環太平洋火山帯

太平洋の周辺をとりまく地震帯。世界の浅発地震の80~90%,深発地震のほとんどが集中。
火山帯,弧状列島(西側),高山帯(東側)と相伴い,前面に発達する海溝の沖側では浅発地震が多く,大陸内側へ向かうにつれほぼ45°の傾斜で地震が深くなる。

環太平洋火山帯(かんたいへいようかざんたい)は、太平洋の周囲を取り巻く火山帯のことで、火山列島や火山群の総称。別名環太平洋造山帯(かんたいへいようぞうざんたい)とも言い、アルプス・ヒマラヤ造山帯とともに世界の2大造山帯とも言われる。

太平洋プレートを中心とする太平洋の海洋プレートが、その周辺の大陸プレートや海洋プレートの下に沈み込むことによって火山列島や火山群が形成される。
プレートの沈み込みに伴う物であるため、火山活動のほか地震活動も活発である。
太平洋プレートができた中生代以降に形成されたと考えられている。

日本列島やインドネシア、フィリピン、アリューシャン列島などの火山列島、またアンデス山脈、ロッキー山脈などが含まれる。

世界の2大造山帯ともいわれており、共に地震の多発地帯となっているが、環太平洋造山帯は火山を伴った活動が多いのに対して、アルプス・ヒマラヤ造山帯は火山が少なく褶曲が多い点が異なる。


チリ巨大地震:巨大津波、インドネシアでの巨大津波、頻発する北米での地震、ニュージランド地震と環太平洋での地震が続発していた。同じベルト地帯の日本でなぜ巨大地震が起きないと言えたのか、巨大津波を想定外と度外視していたのか?


制作発信 社会保障・安全衛生コンシェルジェ 特定社会保険労務士 金丸亜紀雄


この記事へのコメント

noga
2011年03月27日 09:25
今回の東北関東の大震災でお亡くなりになられた方と そのご家族のみなさんに心からお悔やみ申し上げます。災害に遭われた東北の各都市は、今度こそ世界の人が目を見張る、立派な防災都市に生まれ変わる必要があります。さすれば、観光の名所にもなるでしょう。世界遺産にもなるでしょう。はたして、この国には、この目的を成し遂げるためにふさわしい有能な政治家と、計画都市の設計者はいるのであろうか。壊滅状態にある地方都市に、世界観とマスタープランを堅持した有能な政治家は育っているのであろうか。我が国民は、防災に弱い家を建てる大ブタか、それとも、強い小ブタであろうかが判明するときであります。国民は、自分の体に見合ったサイズの政治家を選ぶものでしょう。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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