最後の頼みとされた日本人…「女冥利よ、63歳 女の寿命は長いんだし…」国連難民高等弁務官緒方貞子

最後の頼みとされた日本人…「女冥利よ、63歳 女の寿命は長いんだし…」国連難民高等弁務官緒方貞子の生き方

20世紀は決して平和ないい世界に住んでいたのではなかった。難民の世紀だった。
1960年 難民140万人
1970年 難民250万人
1980年 難民820万人
1990年 難民1,700万人
21世紀になった今、およそ2,200万人の難民が発生している。

1990年10月、第8代国連難民高等弁務官の選考が行われていた。
世界中からの16人の候補者に一人日本人がいた。
そしてデクエヤル事務総長が最終的に決定し1991年1月からの就任を要請したのは、上智大学外国部学部長緒方貞子だった。
2月緒方は単身スイス、ジュネーブに出発した。
63歳からの人生再出発だった。


KKベストセラーズ発行  黒田龍彦著「緒方貞子という生き方」207ペ
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国連難民高等弁務官事務所UNHCR


第二次世界大戦における欧州の難民救済任務に1951年設立
職員数5,000人、世界各地に120現地事務所 
主に欧州諸国の首相、外相経験者が高等弁務官に選出されていた。学者は初めてだった。

ルールを変えた湾岸戦争の際の緒方流

難民保護は、国境を越え戦闘地域を離れた安全な地域で行うことが前提だった。
湾岸戦争時、200万クルド難民のうち20万人はイラク国内で滞留、安全でない敵対勢力下にあった。
今までのルールでは救えない。

前例がない、慣例を敗れないという幹部に対し緒方弁務官は言った「基本は同じでしょう、難民を保護し、生命の安全を確保するのです」こうして初めて多国籍軍管理下という条件でイラク国内の難民は救済する決断がなされた。
こうして緒方の方向転換により多国籍軍13国、援助協力国30国から2万人が動員されテント、毛布、食料品が飢えと寒さに苦しむ人々に供給された。

民族浄化か殺戮か…生き延びることを選択させたサラエボの緒方流

旧ユーゴでは380万の難民があふれた。ユーゴ一国なら対処も。でも10カ国になったらできっこない。民族単位の独立紛争に心を痛める。
子ども女性高齢者含むイスラム系40万住民がサラエボでセルビア人の攻撃にさらされた。
難民は国外で発生した時代から自国の自分の庭で保護が必要な時代に変化してきていた。
緒方弁務官は空からの救援を決断した。停戦合意なし戦闘真っ只中への救援活動は今までのUNHCRにはなかった。
1992年7月3日から3年半、延べ12,000回の空輸大作戦。食糧、医薬品16万トン。作戦開始したまずか5日後厳戒態勢のサラエボ空港に緒方弁務官は降り立った。
「世界中がサラエボを見ているのです、国際社会はあなた方を見殺しにしていません」人々を勇気づけ、人道援助の必要性をアピールした。

1993年6月 ポルポト派支配地域での現場主義の緒方流


6時起床、ヘリで5カ所回る。難民村3カ所調査、地雷撤去立会い。
引き上げ難民自身が言った「何故戻っていらしゃったの、ここはどの位危険かわからないの」
ルワンダなどアフリカ4カ国を5日で回る。難民自身が逆に紛争を引き起こす当事者ともなるアフリカの果てしなき民族紛争。
緒方自身が語る「人間集団とはなんとどろどろした恨みを持ち続け人間の本性はいかに醜いか思い知った」


市川房江と…


聖心女子大学を卒業し米国留学、東大や国際基督教大学で研究生活をおくる緒方は市川房江に国際婦人年に当たり、国連総会への政府代表団への参加を強く勧められことが最初の国連に関わる仕事となった。
41歳の緒方は無名だった。この彼女を国連のひのき舞台へ登場させた市川の慧眼には恐れ入る。緒方はそれまで家族主義中心で初めて自分の関心事を優先させたという。

犬養道子と…


作家犬養道子の祖父犬養毅元首相は、自分の内閣で外相だった芳沢謙吉に長女を嫁がせ、その娘が生んだ子が緒方貞子である。貞子の母親と犬飼道子は従姉妹同士。
東南アジアの難民キャンプを訪れ日本に救援をと活動していた犬養道子の呼びかけに多くの若者やNGOが立ち上がっていた。
緒方貞子が難民の母と言われ犬養道子はNGOの女神と言われ、難民援助に情熱を傾け合った従姉妹が日本にもいるのである。

黒柳徹子と…


ユニセフ親善大使に緒方は黒柳徹子を推薦した。
大ヒットした「窓際のトットちゃん」の英語版を緒方と親しいユニセフ事務局長が読み「子どものことがこれほどお分かりの人なら」と任命に至った。
妻であり、母であり、国際経験も豊富な緒方さんは手料理も見事なのよと黒柳は感嘆する。

田中真紀子と…

2001年4月小泉初内閣で最初外相は緒方貞子でほぼ決まりかけていた。
選挙で最大貢献者の田中真紀子は経済産業相か環境相と。
自分より偉いポストを他の女性に持っていかれるのは我慢できない田中は土壇場で逆転したという見方が多い。
同年12月また緒方と田中はぶつかる。
アフガン復興支援国際会議議長に緒方が就任するが、この役も田中は「東京でやるのですから私が」とゴネた。30諸国が参加し日本最大級の国際会議となったこの舞台でも緒方は。総額45億ドルの支援を取りまとめ見事に仕切った。

緒方を駆り立てる根源…それは怒りという。
人間の尊厳のかけらもない
最低の人権すら守られていない現状に怒りを爆発させる。

米国と…米国と我国は夫婦という。
喧嘩もするが助け合い。
欧州やアジアより米国の方が日本を理解する。そう悲観しないこと。
若い国で危機に強いハングリーさは学ぶべき。

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