年金・医療・失業・労災困ったときの助かるブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 音江村8人惨殺事件鑑定、鋭く対立した法医学教室、白の古畑東大教授陣対黒の北大沼田教授陣

<<   作成日時 : 2008/04/28 10:23   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1

音江村8人惨殺事件鑑定、鋭く対立した法医学教室、白の古畑東大教授陣対黒の北大沼田教授陣 

地方記者の原稿録」シリーズは、一朝日新聞地方記者が、送稿続けた戦前:戦中:戦後の地方発ニュ−ス原稿を今あらためて読み直し、平和を願い平和を壊され、しかし確実に生きていく地方の市民生活の一コマを少しでも窺うことが出来ればと発信するものです。

4、、昭和22年6月〜26年8月 北海道旭川通信部時代 


昭和23年4月2日 朝日新聞 旭川通信部発 

空知郡音江村で一家8人めった切り

3月2日午後4時頃北海道空知郡音江村農業土川良一さん(34)一家で、良一さん、妻とよの(33)さん、長男光男(13)さん、長女はるえ(10)さん、次女浅子(8)さん、次男義男(6)さん、三女富美子(4)さん、三男照雄(2)さんが寝床で殺されているのが発見された。
家の中は血の海で、ちゃぶ台には、8個の茶碗が置かれており、子どもの1人は乳児であるため家族以外に客がいたことを物語っていた。

解剖結果から犯行は31日夜から1日朝までの間に行われ、8人は寝ているところを頭や腹、背中を滅多切りされた。
茶の間でこおりが二つ開けたままだったが盗まれたものはない模様。
手紙差しからハガキを探した痕跡がありこれを本部では注目している。
同家は隣まで200mほど離れており田んぼの中の1軒屋。
良一さんはまじめな百姓で近所の評判も良かった。


音江村8人殺し、凶器発見、買出し人の恨みか

音江村8人殺しの捜査は、5日午後から道警察本部高松刑事課長、荒川捜査課長を迎え一段と体制を強化した。
家の周りの再捜査から犯行に使われたらしい刃渡り5寸のマサカリが発見された。
しかしまだ犯人の確証に繋がるものは見つかってない。
この家から米を買ったことがあり、家の事情に詳しく、当家は近隣から経済屋と言われるほどかなり金を貯めているようで現金を腹巻に隠していると睨んだ犯行で、一人か二人の復員くずれで残虐な殺人を経験した者と一応の輪郭を描き捜査の輪を縮めている。


容疑者逮捕血液型と指紋が一致 犯行否認のまま起訴

音江村8人殺しの捜査本部が置かれた深川署は有力容疑者として同村IHを逮捕して取り調べている。同人は犯行を否認しているが、家の中から発見された雨合羽、防寒手袋の血が被害者の血液型と一致し、現場の状差しの指紋も同人のものであることが有力傍証として上がっている。土川さんから5千円借金をしている。
IHの家族は犯行時刻には家にいたとアリバイを主張している。
不明確が未だ多いが検事会議を開き検討の結果IHを起訴に持ち込んだ。
IHの家族は全財産を傾けても無罪であることを証明すると旭川市内の大塚弁護士に一任している。

対立した法医学教室  北大の黒に対して東大は白
音江村8人殺し事件鑑定

昨年3月31日発生した音江村8人殺し捜査は東大法医学教室に鑑定依頼中であったが、東大法医学教室古畑教授は「雨合羽、ゴム長靴についてどちらも血痕が認められない」と結論された。
先の鑑定を行った北大法医学教室沼田教授の人血と認めた結果と鋭く対立した。この鑑定の相違は公判でそのまま対立することとなった。

8人殺し無罪に 容疑者泣いて喜ぶ

昨年3月31日起こった音江村一家8人殺しの容疑者IHに対する旭川地裁の判決が22日午後1時下った。
IHは犯行当時在宅していたこと、雨合羽とゴム長靴の血痕は完全な人血と認められないことなど証拠不十分であり、無罪を言い渡した。IHは直ちに釈放され「無実の罪が晴れうれしい」と泣いて喜んでいた。

 弁護には隣村出身の大塚守穂・重親父子が務め、Aさんの作業服などの血痕は人血でないことを立証、また現場の残された足跡が本人の長靴と一致しないことを指摘した。

 
音江村(おとえむら)はかつて北海道空知郡に存在した村である。
1909年(明治42年)4月1日 - 北海道二級町村制施行に伴い、音江村が成立。
1963(昭和38年)年5月1日に周辺の深川町・一已村・納内村と合併し深川市となった。
本事案は最高裁まで争われた結果、Aさんの無罪が確定したが、事件自体は時効が成立した。



日本における最大の大量殺人事件は津山事件

1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂本両部落で発生した大量殺人事件である。
犯人都井睦雄22歳により30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡、3名が重軽傷を負った。
横溝正史がこの事件をモデルに「八つ墓村」を書いた。

都井は事件の数日前から実姉など数名に宛てた長文の遺書を書いていた。
更に自ら自転車で隣町の加茂町駐在所まで走り、難を逃れた住民が救援を求めるのに必要な時間をあらかじめ把握しておくなど(当時、西加茂村駐在所の巡査は出征で欠員中だった)犯行に向け周到な準備を進めていたことが後の捜査で判明している。

1938年5月20日午後5時頃、都井は電柱によじ登り送電線を切断、貝尾部落のみを全面的に停電させる。
しかし村人たちは停電を特に不審に思わず、これについて電気の管理会社への通報や原因の特定などを試みることはなかった。

1938年5月21日1時40分頃、都井は行動を開始する。詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋を身に着け、頭には鉢巻を締め小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえ付けた。
首からは自転車用のナショナルランプ(手提げハンドルとブラケットがついている前照灯にもなる懐中電灯)を提げ、腰には日本刀一振りと匕首を二振り、手には改造した9連発ブローニング猟銃を持った。

まず都井は最初に、自宅で就寝中の祖母の首を斧で刎ね殺害する。
その後、近隣の住人を約1時間半のうちに次々と改造猟銃と日本刀で殺害していった。
被害者たちの証言によると、この一連の凶行は極めて計画的かつ冷静に行われたとされている。
「頼むけん、こらえてつかあさい」と足元に跪いて命乞いをする老人に都井は「お前んとこにはもともと恨みも持っとらんじゃったが、嫁をもろうたから殺さにゃいけんようになった」と言って猟銃を発砲した(重傷を負い後に死亡)。
しかしある宅の老人は返り血に染まった都井の姿に脅え、逃げることも出来ずに茫然としていたところ「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪えてやるけんの」と言われ見逃されたという。
またある宅でも、その家の主人が「決して動かんから助けてくれ」と必死に哀願したところ都井は「それほどまでに命が惜しいんか。よし、助けてやるけん」と言い残しその場を立ち去っている。

その後も都井の凶行は続き、最終的に事件の被害者は死者30名(即死28名、重傷のち死亡2名)、重軽傷者3名にのぼった。死者のうち5名が16歳未満である。
計11軒の家が押し入られ、そのうち3軒が一家全員が殺害され4軒の家が生存者1名のみとなった。
押し入られた家の生存者たちは、激しい銃声と都井の怒鳴り声を聞きすぐに身を隠すなどして助かった。
また、2名は襲撃の夜に村に不在だったため難を逃れている。

そして約一時間半に及ぶ犯行後、都井は隣の部落の家を訪れて遺書のための鉛筆と紙を借りようとしたが、家人がその異様な風体に驚いて動けない状態だった。
だがその家の子供は以前から都井の話を聞きに来ていた縁から顔見知りであったため、その子供に頼み鉛筆と紙を譲り受けた。
この時、都井は去り際にこの子供へ「うんと勉強して偉くなれよ」と声をかけている。その後、3.5km離れた仙の城山頂に登り、追加の遺書を書いた後、猟銃で自殺した。

都井の遺体は翌朝になって山狩りで発見された。猟銃で自らの心臓を撃ち抜いており、即死したとみられている。




ブログランキング
http://jobranking.net/44/ranklink.cgi?id=1346





自由国民社発行「口語民法」に学ぶ

第5章  法律行為

第113条 「無権代理」

代理権を有しない者が他人の代理人としてした契約は、本人がその追認をしなければ、本人に対してその効力を生じない。

2 追認又はその拒絶は、相手方に対してしなければ、その相手方に対抗することができない。
ただし、相手方その事実を知ったときは、この限りではない。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
JR深名線の路線バス廃止
永江聡
2010/11/21 14:25

コメントする help

ニックネーム
本 文
音江村8人惨殺事件鑑定、鋭く対立した法医学教室、白の古畑東大教授陣対黒の北大沼田教授陣 年金・医療・失業・労災困ったときの助かるブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる