大隈重信危うし、明治の軽井沢「大磯」舞台に村井弦斎美食探偵大活躍: 天地人「火坂雅志」は文学賞受賞

郷土の作家、火坂雅志氏作「天地人」が中山義秀文学賞受賞

平成20年2月14日 タウンニュース誌
市内在住の歴史作家火坂雅志氏作「天地人」で初の文学賞


市内在住の歴史作家火坂雅志さん(51)が来年のNHK大河ドラマの原作に選ばれた「天地人」で中山義秀文学賞を受賞した。
火坂さんが文学賞を受賞したのは今回が初となる。
中山義秀文学賞は平成5年設立、時代小説の大家中山義秀の功績を偲び、毎年時代小説を対象にその年の優秀な作品を顕彰している。
火坂さんは「NHK大河ドラマ原作にも選ばれ、このような賞にも恵まれ、作品にとっても大変幸せです」と話した。
天地人は戦国大名の雄上杉景勝に仕えた執政直江兼続の姿を重厚に颯爽と描いている。


タウンニュース誌:平成19年6月14日号 郷土の作家、火坂雅志氏作「天地人」がNHK大河ドラマ原作に


市内在住の歴史小説家火坂雅志さんの「天地人」が平成21年のNHK大河ドラマの原作に決定した。今年は武田信玄の軍師山本勘助がNHK大河ドラマの主人公だが再来年は仇敵上杉謙信の軍師とも言える直江兼続が主人公となる。
火坂さんは「ドラマには原作者として口出しはしない、でも、ぜひ雪国の美しい情景は描いて欲しいと申し入れた」と語った。


タウンニュース誌:平成19年8月7日  村井玄斎80回目の命日、墓参に列、火坂雅志氏が実行委員長span>

7月30日、80回目の命日を迎えた村井玄斎を偲ぶ墓前祭「玄斎忌」が市内豊田の慈眼寺で行われ大勢が参列し焼香した。
玄斎忌実行委員長の作家火坂雅志さんは「玄斎は現代でいう食育を当時始めた人。玄斎の活動が見直され、食を見直す機会になれば…」と話した。


火坂雅志を読む⑩  

講談社発行 火坂雅志著「美食探偵」306ページ


第1話「海から来た女」
「食道楽」が大ベストセラーになる5年前の村井玄斎が主人公。以後各話とも名探偵ぶりを発揮する。
日本最初の海水浴場大磯海岸が舞台。
明治政府の奨める健康法として陸軍初代軍医総監松本順が明治18年大磯海岸を海水浴場を開いた。
海岸の旅館には医者や助手が置かれた。また気候温暖から伊藤博文、大隈重信、山形有朋など政界有力者や財界人の別荘も建てられ、夏は銀座なみの人ごみになった。
明治6年政府は外国人との結婚を許す通達を出す。外国人女性とその幽霊話が大磯海岸や平塚など明治の湘南情景の中で展開する。


第2話、薄荷屋敷

牛鍋は江戸時代末横浜で発祥したといわれる。外国客船が出入りする横浜の、東北特産薄荷を扱う貿易商の屋敷が薄荷屋敷。回春薬鉄砲百合や食道楽の話も織り込みながら芝居役者の殺人事件に巻き込まれる玄斎。


第3話 消えた大隈

明治22年外務大臣大隈重信は爆弾テロに襲われ、片足を失う。大隈ゆかりの、玄斎も一時学んだ早稲田が舞台の一つ。初の政党内閣を組織した大隈重信内閣総理大臣が行方不明に。拉致した当の犯人政敵山形有朋は病気見舞いに登場し様子を窺う。信頼した板垣退助にも裏切られた大隈は真の窮地を知る。
山形の庭造り趣味の嵩じた椿山荘や大磯の屋敷を舞台に大隈の窮地を弦斎が救う。
しかし政治の窮地は?。明治31年 政党内閣大隈内閣は総辞職、官僚:軍部の山形有朋内閣に変わる。そして日本は一路日露戦争に突き進む。


第5話 滄浪閣異聞

西行法師の鴫立庵と伊藤博文候のお屋敷滄浪閣前で殺人事件発生。村井探偵とこれまた松本順探偵が解決。
街道の並木道沿いに陸奥宗光、山内豊景(旧土佐藩)、徳川慶勝、山形有朋(総理大臣)、大隈重信(「総理大臣」、鍋島直大(旧佐賀藩)などそうそうたる名士の別荘。明治の大磯は正に今の軽井沢みたいな所だった。
最高の位を極めた伊藤博文だが、無類の好色で年若い女性が好み。近藤勇と芸妓の間の子こりんもその愛妾の一人。伊藤と間違えて殺される。撃ったのが近藤と同じ新撰組仲間。切腹してしまうがこれを松本等が伊藤のこらしめのため伊藤邸(滄浪閣)前での殺人仕立てに偽装。
明治新政府は若い者始め大勢の国民の死を犠牲に出来た政権。
それだけに政府中枢にいる伊藤の非人格は許せない、これに鉄槌を下したものだった。
胸のすく村井探偵の解決。

各話の中随所に料理のレシピも紹介される。食道楽模様。平塚の村井邸には森永乳業生みの親の森永氏はじめ多くの要人が訪れた。ちょうど今の5星グルメブームと同様な食道楽ブームが村井を中心に明治時代沸き起こった。そして今よりよほど思想的に明治の時代に食の重要性、家庭の重要性を説くなど格上の食育ブームだった。



滄浪閣正伝

1、概要

中華料理の高級料亭として最高の人気を誇った。
昭和40年代50年代近隣では憧れの結婚式場:披露宴会場でもあった。

その後西武が購入、大磯プリンスホテル別館となった。
更に時代は移り、西武の凋落とともに19年3月ついに中華の火も消え、ある機関が購入、これからは老人介護施設として生きていくこととなった.
H19年12月に大磯町当局は公有地の拡大の推進に関する法律に基づき、町が優先的に交渉権を得られるよう県に届出を提出、町はこの法律に基づく買取りの協議を(株)プリンスホテルと進めていた経過があった。提示額25億円。これは挫折。残念。


2、詳細史

1890年(明治23年)頃、伊藤が小田原の滄浪閣へ行く途中、大磯に立ち寄り、その白砂松林の大磯が気に入り、梅子夫人の病気療養のためにも、この地に別荘を建築することに決めた。別荘が完成すると、小田原の滄浪閣を引き払い、大磯の別荘の方を「滄浪閣」と名づけた。1897年(明治30年)10月1日、伊藤は本籍を東京から大磯町に移したため、滄浪閣は伊藤の別荘ではなく本邸となった。

敷地面積は18,150平方メートル(5,500坪)。建物は日本間と洋間が3つあり、日本間は10畳と8畳に仕切ってあった。一方、3つの洋間は英国調となっている。廊下等には明治天皇からの下賜品である絵襖が飾られている。湯川松堂画伯により「源義家後三年の役」「静御前の舞」「太田道灌鷹狩り」「野見宿弥の相撲」の各場面が描かれたものである。

また、邸内に、元勲である三条実美、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文を祀った五賢堂を造り、日々の戒めとしたと伝わる(のちに西園寺公望、吉田茂が加えられて七賢堂となる)。

伊藤が本宅を構えてからの大磯は、山縣有朋や西園寺公望、大隈重信など、政財界要人の別荘が多く建てられ、滄浪閣への来訪者も絶えなかった。1907年(明治40年)頃の大磯には150戸以上の別荘があったといわれる。

大磯在住時の伊藤の日常は素朴を好み、散歩する際には鳥打帽に着物の簡単な服装で出かけた。ふらりと農家に立ち寄っては、米麦の値段や野菜の出来具合を聞いたり、夜の海岸へ出かけて地引網の見物をし、イカ釣り船の漁夫に話しかけたりしたという。
地元の祭りの時には、四斗樽の鏡を抜いて酒を振舞い、地域との融和を心がけていたという。

伊藤の死後は梅子夫人が居住したが、1921年(大正10年)に養子の伊藤博邦により朝鮮の李王家に譲渡されて別邸となった。1923年(大正12年)の関東大震災では建物が倒壊するが、焼失は免れ、直ちに再建された。
第二次世界大戦終戦直後は一時、米軍に接収され、1946年(昭和21年)2月、李垠から政治家・楢橋渡へ、さらに1951年(昭和26年)5月には西武鉄道に売却された。
1954年(昭和29年)12月に宿泊施設として開業し、大磯プリンスホテルの別館となる。
1960年(昭和35年)4月、五賢堂が元首相・吉田茂邸内へ遷座された。


滄浪滄浪の水の流れが綺麗なときは冠の紐を洗い、濁っているときは足を洗う、という意味から、何事も自然の成り行きにまかせて身を処する意味を表している

以下参考 福島県白河市ホームページから
『中山義秀文学賞』は、平成5年4月に大信村に設立された「中山義秀記念文学館」の開館を記念して創設されました。

主催者は同文学館に事務局を置く中山義秀顕彰会、共催は白河市および中山義秀記念文学館です。

受賞対象は、前年4月1日より当年3月31日までに刊行された書籍で、日本の歴史を素材とした文学作品(歴史・時代小説)の中から、もっとも優れた作品に与えられます。

受賞者には、正賞、副賞として賞金50万円、さらに大信特産米のコシヒカリ1俵が贈られます。

なお、本賞は顕彰会が単独で主宰する、全国レヴェルのメジャーな文学賞として位置づけられています。回を重ねるに従って中央の文壇、マスメディアからも注目をされるようになり、文学界での評価も上昇中です。

第9回(平成15年度)文学賞からは初めて「公開選考」方式で行われ全国的に注目され大きな反響がありました。
                      
 
歴代の受賞者
第一回
(平成五年度) 五佐衛門坂の敵討 中村 彰彦
第二回 (平成六年度) 長い道程 堀  和久
第三回 (平成七年度) 罪なくして斬らる 大島 昌宏
第四回 (平成八年度) 江戸職人綺譚 佐江 衆一
第五回 (平成九年度) 鎌倉擾乱 高橋 直樹
第六回 (平成十二年度) 始祖鳥記 飯島 和一
第七回 (平成十三年度) 余寒の雪 宇江佐 真理
第八回 (平成十四年度) おすず(信太郎人情始末帖) 杉本 章子
第九回 平成(十五年度) 白春 竹田 真砂子
第十回 (平成十六年度) 武家用心集 乙川優三郎
第十一回 (平成十七年度) 天馬、翔ける 安部 龍太郎
第十二回 (平成十八年度) 雲を斬る 池永 陽


第十三回 (平成十九年度) 天地人 火坂 雅志


選考委員

竹田真砂子(第9回中山義秀文学賞受賞、国立劇場新作歌舞伎脚本選考委員 )
立松和平( 純文学作家、脚本家 )
津本陽( 直木賞作家、日経小説大賞選考委員 )
縄田一男( 文芸評論家、日経小説大賞選考委員 )

中山 義秀(なかやまぎしゅう、1900年10月5日-1969年8月19日)は日本の小説家。福島県西白河郡大屋村(現白河市)生れ。本名、議秀(よしひで)。旧制安積中学(現福島県立安積高等学校)、早稲田大学文学部英文科卒。

大学在学中に、横光利一、富ノ沢麟太郎、小島勗らと同人誌『塔』を創刊。小説『穴』を発表。また、帆足図南次と『農民リーフレット』を発刊。卒業後、中学英語教師のかたわら著作業を始め、妻の死など苦難の後、著作集『電光』を刊行。1938年、岩瀬郡長沼町を舞台にした『厚物咲』で第7回芥川賞。翌年『碑』を発表し、文壇での評価を高める。

戦後は時代小説を書き、『新剣豪伝』『信夫の鷹』『咲庵』(野間文芸賞)など。がんに倒れ、『芭蕉庵桃青』が絶筆。死の前日に、キリスト教の洗礼を受ける。中山義秀記念文学館がつくられ、優れた歴史小説を対象にした、中山義秀文学賞が創設された。

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今日の民法  自由国民社発行「口語民法」に学ぶ

第3章  法人

第42条「寄付財産の帰属時期」
生前の処分で寄付行為をしたときは、寄付財産は、法人の設立の許可があった時から法人に帰属する。
2 遺言で寄付行為をしたときは、寄付財産は遺言が効力を生じた時から法人に帰属するものとみなす

解説

遺言によって財団を設立する場合は、遺言の執行という形をとる。
遺言者の死亡と財団の設立時期のずれが生じるが、このずれは法人があったこととすれば解決する。

今日の労働基準法 労務行政発行「労働基準法:労働法コンメンタール」に学ぶ

第4章 労働時間、休憩及び年次有給休暇

第38条の3「専門業務型裁量労働制」
使用者が、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、次の事項を定めた場合において、労働者を第1号に掲げる業務に就かせたときは、当該労働者は、厚生労働省令で定めるところにより、第2号に掲げる時間労働したものとみなす。

1、業務の性質上その遂行の方法を大幅に当該業務に従事する労働者の裁量にゆだねる必要があるため、当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をすることが困難なものとして厚生労働省令で定める業務のうち、労働に就かせることとする業務

2、対象業務に従事する労働者の労働時間として算定される時間

3、対象業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し、当該業務に従事する労働者に対し使用者が具体的指示をしないこと。

4、対象業務に従事する労働者の労働時間の状況に応じた当該労働者の健康及び福祉を確保すための措置を当該協定で定めるところにより使用者が講ずること。
5、対象業務に従事する労働からの苦情の処理に関する措置を当該協定で定めるところにより使用者が講ずること

6、前各号に掲げるもののほか、厚生労働省令で定める事項
前条第3項の規定は前項の協定について準用する


解説
専門型裁量労働制により労働時間を算定する場合は、労使協定において、裁量労働に該当する業務を厚生労働省令で定める業務のうちから定め、当該業務の遂行に必要とされる時間を定めることが必要である。
本条第2項届け出義務違反は30万円以下の罰金に処せられる。

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