安倍さんの一つの行動と小渕さんの一つの行動…二人とも参議院に苦労し最後に小沢一郎に引導を渡された

安倍総理の突然の辞職声明…うすうす体調不良が片隅で報道されていたが、余りにも急で大事な国会論戦前という場面も想定外だった。一国のリーダーが採るべき行動であったかどうか。

さて、その理由だが、民主党党首小沢一郎に党首会談を申し出たがこれを断られたことも要因の一つと自ら語っていた。


即座に思い出したのが小渕元総理の最後の日である。


2000年4月1日
小渕政権を支え連立与党を組んでいた自由党小沢一郎氏と会談、交渉が決裂し連立離脱を通告され、自由党は連立与党を離れることとなった。翌日小渕総理は倒れた


話は遡る
1998年7月30日
小渕恵三は国会で首班指名を受け第84代内閣総理大臣に就任。しかし、与野党が逆転している参議院では民主党代表の菅直人が首班指名され、日本国憲法第67条の衆議院の優越規定により辛くも小渕が指名されるなど、当初の政権基盤は不安定だった

1999年1月
小沢一郎の自由党との連立政権発足。この事で政権基盤が安定し、小渕は強力なリーダーシップを発揮し、周辺事態法(日米ガイドライン)、憲法調査会設置、国旗・国歌法、通信傍受法、住民票コード付加法(国民総背番号制)など、「内閣の一つや二つは潰れる」とまでいわれていた重要法案を次々に成立させた。この様な政治手腕に対して中曽根康弘元総理は文藝春秋誌において「真空総理」と評した。

話は戻って2000年4月2日
小沢一郎の自由党との連立決裂の翌日、小渕総理は脳梗塞を発症。
前日から兆候が見られたとも言われる。実はこの日連立与党を組んでいた自由党との連立が決裂し、その事に関する記者の質問に対して答弁できず無言になり、言葉を回答するのに10秒前後の時間を費やした。これは一過性の軽い脳梗塞の発症と言われ梗塞が回復したとき言葉を出せたとされる。この様子は余りにも有名。
順天堂大学医学部附属順天堂医院に緊急入院する。執務不能となり死亡。在職616日。


2007、9、12
小渕さんは病により倒れたが、安倍さんも健康を壊していておかゆ食のこととか、外国リーダーとの会談後即部屋で横になっていたことなどが伝えられていた。
また参議院が与野党逆転していたことも同様である。
そして政局運営最後の局面に小沢一郎が関わったことも奇妙に共通しているのである。
小沢一郎の特異な政治暦からも引導を渡すタイミングは熟知していることだろう。
倒れ掛かった獲物に手を貸すはずもない。

また小渕さんの例を承知し他山の石として、命、健康と総理の職務をはかり、家族や医師の勧めもあり、この苦渋の決断をされたのかも知れない。

いずれの道にも別れを悲しまず

前に出よう、行動しよう。全てが出会い。だからこそ新しい事実には慎重に謙虚にまた柔軟に
対処しなければならない。人間はもともと孤独である。その孤独に居直って自分の力を発揮して行く他はない。その過程で多くの人と知り合い、協同し助け合い、人間らしく生きていくのである。
これは竜門冬二の著作「宮本武蔵の人生訓」の一節である。
日米管理職アンケート調査結果で、米国管理職のほうが我国よりはるかに忠誠心、気配り、根回し、情報共有化しているそうである。そして武蔵の五輪書がブームになっているという。
日々どう生きるかは何時の時代も大問題である。


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