90年前、民生委員制度の源「済世顧問制度」を創設  大正を駆けた若き官選知事笠井信一物語③

第3話  民生委員制度創設編

舞台は90年前の岡山県 
               登場人物 大正天皇、藤井静一、笠井信一 

笠井信一は、大正3年(1914)から大正8年(1919)まで岡山県第10代官選知事として行政任務を遂行した。

舞台は90年前の岡山県であるが、1転まず、90年後2007年東京武道館に移る。
民生委員制度創設90周年記念全国民生委員児童委員大会 が開催されている。


平成19年7月5日(木)(日本武道館)  天皇陛下のおことば

 
本日,民生委員制度創設90周年を記念する全国民生委員児童委員大会が開催されることを,誠に喜ばしく思います。
 本年は,大正6年笠井信一岡山県知事が,当時の県民の1割が悲惨な生活状態にあることを深く憂慮し,これらの人々の救済策として,済世顧問制度を創設してからちょうど90周年になります
またこの制度がつくられた翌年には林市蔵大阪府知事が貧しい人々の生活状況の調査や救済に当たる方面委員制度を発足させました。
この方面委員制度は,昭和11年,全国的制度に発展し,戦後は民生委員制度として今日に受け継がれています。これらの制度が始められたころは福祉に対する社会の関心がまだ低く,恵まれない人々を救おうとした関係者の努力はいかばかりであったかと察せられます。

 近年高齢化に伴う社会の変化によって,家族や地域社会の絆(きずな)が弱まり,社会から孤立した人々の増える中で,民生委員・児童委員の仕事は,ますます重要性を増してきています。さらに,地震や台風などの災害が発生した場合の対応のために,民生委員・児童委員の日ごろの努力の積み重ねが求められています。 
 現在,全国で22万人を超える民生委員・児童委員が,社会奉仕の精神をもって,助けを必要とする人々のために日夜尽力していることを,誠に心強く思います。どうか,今後とも,地域の人々の生活状態をきめ細かく把握し,地域の人々の心身の支えとなって,力を尽くされるよう願っております。 
 この記念大会が,全国の民生委員・児童委員が一層協力し合って国民の福祉の向上に努める契機となることを希望し,大会に寄せる言葉といたします。 

舞台は再び91年前の岡山県に戻る
大正天皇と笠井信一


正5(1916)年5月、宮中で開催された地方長官会議の場で、当時の岡山県知事であった笠井信一氏は、大正天皇から「県下の貧民の状況はどうか」との御下問を受けた。
笠井知事はすぐに岡山県内の貧困者の実情を調査し、悲惨な生活状態にある者が県民の一割に達していることが判明した


笠井知事が実施した貧窮民調査

郡部では課税戸数、賦課等級の最下級すなわち1年平均6銭を負担する者、岡山市内では家賃月1円30銭以下の借家に居住する者を対象に調査。
20,090戸、人口103,700人で県内10%は極貧であることが判明。
調査結果を市部郡部別で見ると、県平均は8,1%だが、浅口郡は12,4%、阿哲郡は1,2%と地域格差が認められた。大正3年に着任し2年間知事にあった笠井は、「一片の訓令や漠然とした勧奨で恵の露に県民全体が潤うていた」と思ったのは大いに自惚れ、自分はボンクラ知事であったの大いに恥じた


救世顧問制度の創設

この事態の重大さに同知事は、日夜研究を重ね、ドイツのエルバーフェルト市でおこなわれていた「救貧委員制度」を参考にして、大正6(1917)年5月、「救世顧問設置規定」を公布、民生委員制度の源と言われる救世顧問制度が生まれた。span>
民生委員制度40年史(全国社会福祉協議会)より

笠井知事は窮乏貧民調査だけではなく、共同救護社を経営していた藤井静一氏を招致し意見を聞き、欧米の防貧制度も研究し対応策を考究した。その経過は済世顧問制度の精神に著している


県議会の議論

1916年11月20日県議会においてこの救世顧問制度予算が審議された。
予算案では1000円に過ぎないが、しかしなにせ日本初の制度導入である。制度の内容、仕事への疑問、意見、質疑が繰り返された。
翌年5月12日済世顧問設置規定は公布された


済世顧問制度の精神

第1条 目的  県下市町村の防貧事業を遂行し個人並びに社会を向上せしむること
第2条 任務  精神上の感化、物質上の斡旋等により現在及び将来における貧困の原因を
消滅せしむる


笠井知事が県下市町村長に行った同年2月26日の訓示演説では、貧民の良友、師夫、指導者として貧民に知識を補充して前途の光明を得しめ、誘惑を予防して危墜に近接せざらしめ、職業を紹介し自営に奮励せしむる等々。
第5条  資格は人格正しきもの、身体健全なるもの、常識にとめる者、慈善同情心に富める者、忠実勤勉その職務につくすべき者としてある。

第3条 市にありては15名、町村にありては1名とする

郡市長が詮考の上、推薦し知事が嘱託するものとした。初代顧問79名のうち医師が10名13%を占めていることは、岡山県の保健医療福祉の特質を現し、この制度の実際は人材中心の方針によったものであることも判明する。

この時代における新制度の導入は大きな難関であったことは想像にかたくない。しかもこの制度の進歩性は、中央の指令を受けて活動する機関ではなく、独立した一個の人格を有する機関としたこと、専用施設を持たない隣保事業と位置づけ、行政機関と対等の関係を見出せるという誠に主体性のある制度機関としたことにあります。
顧問はそれぞれ自己の考えに基づき事業を起こしたという。顧問の裁量による企画実施こそ済世顧問制度の最大特質といえましょう。

大正期に、このような福祉の目的に大胆な志向性を持つ組織を構築出来得えた知事笠井と県議会、周辺の方々にはただ敬服するのみである。
我国福祉の原点はまさにここにあると言えるのではないか


笠井の念願は「お互いに住み良き世の中を実現すること」であり、善化網を通じ、利他利己共栄共進主義によって実生活を改善せしめることを目指すものであった。


岡山福祉の伝統 現在の石井 正弘知事の言葉より
(知事)  岡山県は、大正6年当時、済世顧問制度を笠井知事がスタートさせて民生委員制度ができたといったことに加え、石井十次という素晴らしい大先輩もおられ、福祉の先進県として今日まで来ている訳だが、皆さん方にも、福祉の心をより強く持っていただき、福祉の先進県という地位を固めていかなければいけないと思っている。そうした中で、障害者福祉は一番大事なテーマであると思う。しっかりとこの灯を消さないように、もっと皆さんとともに盛り上げていきたいと思っている

ブログランキング
http://jobranking.net/44/ranklink.cgi?id=1346


次回は第4話、為政は治水から、笠井堰編を予定


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック