蘇る赤ひげ診療所               …小石川療養所再建へのご努力に敬服

東京大学医学部附属病院が来年創立150周年を迎える。
記念事業として目下関係者は小石川療養所再建計画が歴史的に意義あることと考え、浄財を募るなどご努力中とのこと。


東大病院だより誌 創立150周年に向けシリーズ第15回小石川療養所


徳川吉宗の享保の改革の時、目安箱を作り、江戸庶民の意見を幅広く求めた。
投書の一つに、医師小川笙船による「治療を受けられない貧しい病人の治療を行う養生所を作って欲しい」というものがあった。

吉宗はこの意見を重んじ、幕府の薬草園のある小石川植物園内に建設することを決定する。
維持費の捻出、入所者の決定など難問に当たらせたのが南町奉行大岡越前であった。

この小石川療養所(施薬院)が広く世の中に知られたのは、山本周五郎原作「赤ひげ診療譚」とそれを原作とした黒澤明の映画」赤ひげ」であった。

以下出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を、黒澤明監督が「日本映画の危機が叫ばれているが、それを救うものは映画を創る人々の情熱と誠実以外にはない。私は、この『赤ひげ』という作品の中にスタッフ全員の力をギリギリまで絞り出してもらう。そして映画の可能性をギリギリまで追ってみる。」という熱意で、当時のどの日本映画よりも長い2年の歳月をかけて映画化した黒澤ヒューマニズム映画の頂点ともいえる名作。完成した作品を観た山本周五郎をして「原作よりいい」と言わしめた。ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞などを受賞。主演の三船敏郎もヴェネチア国際映画祭最優秀男優賞を受賞。

長崎で当時最新のオランダ医学を学んだ青年医師・保本登は、見習いとして小石川養生所に住み込むことになった。
エリートとしての矜持もあり、養生所を訪れる貧しい庶民たちや「赤ひげ」と呼ばれる無骨な所長・新出去定になじめず気を腐らせる。


長崎への遊学中に婚約者に裏切られた事や、ゆくゆくは典薬医まで登るという医師の出世コースから外れて養生所へ入れられてしまったという不満で鬱屈し、投げやりな態度で過ごしていた。

当初は養生所を出て行く事を望んだ登であったが、赤ひげの診断の確かさと優れた医療技術を目の当たりにして徐々に変化が訪れる。多くを語らない赤ひげのこれまでの越し方、弱者への赤ひげの目線、そして市井に生きる人々の様々な人生に触れた登の心は……

赤ひげは主人公の青年医師に、「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などない。 医術がもっと進めば変わってくるかもしれない。だが、それでも、その個体の持っている生命力を凌ぐことはできないだろう。病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない
と述懐している。


小石川療養所があったところは,現在小石川植物園(「国立大学法人東京大学大学院理学系研究科付属植物園)となっている。
小石川療養所を約300年ぶりに再建したいと発案されたのは、元東大総長でもあった森亘先生。建築資材をどの程度歴史に合わせていくか、土地をどうしていくか、難問は多かったが共鳴した関係者が集まりその実現性を検討して来た。現在寄付を募って努力中の由。

来年の東京大学医学部創立150周年には新しい教育、観光のスポットとして姿をあらわすに違いない


華岡青洲、前野良沢、杉田玄白、山脇東洋、石川良信、朝川善庵、高野長英、緒方洪庵等々蘭学を始めドイツ医学をいち早く吸収し、学問や医学環境の整っていない中、医術に心がけた日本人が、いかにこの頃多く輩出したか。そして彼らは一様に私益より貧しい人々への暖かい心根があった。
江戸幕府も幕府統治には厳しく当たったが、市井の人々への配慮を忘れていなかったのである。今、我々は彼らの時代から学ぶべきことは多い。


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